バブルとは何か!?バブル景気とバブル崩壊についてざっくり解説!

教養/豆知識

バブル景気、バブル崩壊という言葉を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
むしろ聞いたことがないという人の方が珍しいくらいかもしれません。
バブル崩壊後に生まれた若い人たちもきっと聞いたことがあるのではないでしょうか。
しかし、バブル景気って何?バブル崩壊って何?と聞かれると意外と説明するのは難しいのではないでしょうか。
今回はそんなバブル景気とバブル崩壊についてざっくり解説したいと思います。

 

●バブル景気
今から30年くらい前日本はとても元気な国でした。

土地の値段や株の値段がどんどん上がりお金持ちがどんどん増えていきました。

なぜ日本はこんなに元気だったのでしょうか。

日本の製品は、外国でよく売れており、特に日本の自動車はアメリカでよく売れていました。

そうするとアメリカの会社は困ってしまいます。

「日本のせいで我々の製品が全然売れない」「大統領になんとかしてもらおう」という声が出てきます。

そこでアメリカ政府のお金を担当する偉い人が日本、イギリス、ドイツ、フランスからそれぞれお金を担当する偉い人がニューヨークにあるホテルに呼ばれました。

そしてアメリカ政府のお金を担当する偉い人は「外国の資本が入ってアメリカが元気なくなると君達も困るよね?だから我々の通貨のドルを有利にするようにするからね」と呼びかけました。

この話し合いというか一方的な宣言が行われたホテルがプラザホテルだったのでこのイベントのことをプラザ合意と言います。

それまではアメリカの1ドルは日本の235円と同じでしたが、プラザ合意の後は1ドルは150円くらいまでになってしまいました。

これにより、輸出に影響が出たことでアメリカは助かりましたが日本は困ってしまいます。これまでアメリカにモノを売ってお金を儲けていたのに儲からなくなってしまいました。

日本はだんだんと元気がなくなってきました。。

そこで銀行は企業や個人にお金を貸すときに安い利息でお金を貸すようにしました。

これにより、会社や工場や個人といった人々はお金をどんどん借りました。

会社は新しい商品を作ったり、工場は新しい機械を買ったり、人々は土地やマンションや株などを買うようになりました。特に土地神話が広く信用されており土地を買えば必ず上がるとまで言われていました。

当時は資産運用しないでお金を持ったままの経営者なんてアホだと言われるくらいになっていました。

こうして世の中にお金が回ってプラザ合意前よりも日本は元気になり、お金持ちも増えていきました。

こうした状態をバブル景気と呼びます。1986年~1991年の5年間こうした状態が続きました。

●バブル崩壊
土地の値段が上がりすぎてさすがに日本政府もマズイと感じるようになりました。

そこで銀行の利息を上げました。だいたい2.5%から6%ぐらい利息を上げました。

また、土地を買うためにお金を貸すことをやりにくくしました。

さらに新たに地価税という税金を設定して土地を持っていると税金がかかるというルールを導入しました。

こうした厳しい規制と引き締めにより、日本経済は冷え込んでいきます。特に銀行の貸し渋りと貸し剥がしにより多くの企業と個人が致命的な経済的ダメージを受けることになりました。

これらをきっかけにして不動産価格も株価も実体経済も崩壊していくことになりました。日本はそれまでの元気が嘘のようになくなっていきました。

バブルは高まってきたものが自然に弾けたと思われがちですが、実際は最初に規制を作った人がいてそれを受けざるを得なかった日本の事情があるということだったのです。

つまりバブルは弾けるように仕向けられていたと考えることも出来るのです。

バブルが崩壊したことで高値で買っていた株や不動産の価格が一気に半減します。

銀行も慌てて貸したお金を回収しようとしますが借りた側も返せる手だてが無くなってしまっていました。

こうしてお金を返せなくなった企業が経営破綻すると同時にお金を貸した銀行も経営破綻するということになりました。

大手企業も採用活動を取りやめることになり、この頃からニートやフリーターという人たちが一気に増加し始め社会問題になりました。

こうしたバブル崩壊から現在までを失われた20年や30年と言われたりします。

●バブル景気の時の衝撃エピソード
・東京23区の土地の値段とアメリカ全土の土地の値段が同じと言われていた。

・1億円以上のマンションが飛ぶように売れた。土地神話により、土地を買うために借金をする人まで当時は大勢いた。

・日経平均株価が38915円(22/6/8:27943円)だった。多くの人が50000円を超えると信じていた。

・学生は就活しているだけで会社から交通費やお礼という名目で現金が貰えたり、高級レストランで接待などを受けているケースがあった。内定してからも研修という名目でハワイなどの海外旅行にも連れていって貰っていた。

・タクシーを止めるときは札束をバラまいていたという逸話もある。

・ゴルフ場に行くときはヘリコプターを使っている人も結構いた。

・ボーナスも2か月に1回のペースで貰っていた。

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