【超名門貴族③】ヨーロッパの有名芸術家を支えた一族メディチ家の歴史

教養/豆知識

前回ご紹介させて頂いたハプスブルグ家ロスチャイルド家に続いてメディチ家についてご紹介したいと思います!

 

●メディチ家とは
15世紀から18世紀にイタリアの”フィレンツェ”で大富豪となり後に衰退していくことになる一家になります。
多くの方が1度は見たことのある絵画や建物はメディチ家が支えたことで出来たと言っても過言ではありません!
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロも支え、メディチ家がいなければルネサンス文化は存在しなかったと言われております。そんなメディチ家は単純にお金を出していただけでなく多角的な支援を行っていました。
貴族、王族、宗教的指導者が街を治めるのが通例の中、民間出身の政治家といった存在であるメディチ家がフィレンツェを支配していたのです。銀行家や実業家そして政治家としての肩書きもあります。

 

●ルネサンスの代表作
<文学>
ダンテ「神曲」
ラテン語ではなく、誰でも分かるイタリア語で表記
<芸術>
ミケランジェロ「ダビデ像」
レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」
宗教から離れて人間の美を表現
<自然科学>
ガリレイ「地動説」
正しいことを証明

 

●メディチ家のはじまり
歴史上、メディチ家の名が初めて確認されたのは13世紀とされています。イタリアでメディチーナが薬という意味で先祖は薬屋をやっていたとされています。具体的には、薬品に使われるミョウバンで儲けていたそうです。
また、メディチという言葉は「医師」を表していることから先祖に医学に携わった人間がいるとも考えられています。
一説によるとフィレンツェに来る前は、地方の農民で土地を売り払ってフィレンツェに来たとされています。
メディチ家の繁栄を築いた初代当主のジョヴァンニ・ディ・ビッチ(1360-1429)は、一族の銀行家ヴィエーリ・ディ・カンビオ(1323-1395)のもとで実力を付けていき、銀行家になりました。
↑ジョヴァンニ・ディ・ビッチ
ローマにあった銀行をフィレンツェに移動して銀行業を始めたことがきっかけとなりのちの大富豪へと繋がっていきます。フィレンツェに移設した銀行はメディチ銀行と名前を変え、規模を大きくしていきました。そして、イタリア各地に支店を構え莫大な収益を得ることに成功しました。
また、ジョヴァンニは資金力を活かし、内部抗争の続くカトリック教会の権力者の1人をバックアップしました。バルダッサーレ・コッサという人物でジョヴァンニの支援を受けて正規ローマ教皇に異を唱える対立教皇として後に即位しました。
こうして、ジョヴァンニはメディチ家とカトリック教会の強い繋がりを手に入れたのです。さらにローマ教皇庁の財務管理者に抜擢され、メディチ家にはさらなる富が舞い込んできました。この勢いのまま、市の行政長官も任され庶民のための税制改革を行うなど多くの市民に支持されました。暮らしも芸術面に多くの投資をしたものの、質素で地味な生活を好んでいたそうです。
ジョヴァンニはお金持ちで、庶民に愛され性格もよくて賢いという完璧な人物だったのです。
ジョヴァンニの死後、息子のコジモ(1389-1464)はジョヴァンニとは対象的に野心的な性格でメディチ銀行をさらに拡大させていきました。支店を海外のバルセロナ、ロンドンにまで作り、フィレンツェの陰の暗躍者として実質的に支配し、芸術家に多くの支出をしてルネサンスのパトロン(後援者)としての地位を確立し、名だたる芸術家を支援しまし
ギリシャの哲学者プラトンに傾倒し、プラトン・アカデミーを設立しメンバーにはあのレオナルド・ダ・ヴィンチもいました。このメディチ家のパトロンとしての活動は、コジモの息子ピエロ、孫のロレンツォ(1449-1492)の時代も続きます。このロレンツォの時代はフィレンツェ・ルネサンスの黄金期でした。
このロレンツォこそ内政をしっかり整え、芸術面でもダヴィンチ、ミケランジェロをパトロンとして支えた人物になります。自身も芸術面に精通していたようです。コジモをはじめ芸術に知的好奇心を示さなければ、ルネサンス文化はなかったかもしれません。

 

●メディチ家の衰退
ロレンツォの死後、ロレンツォの息子ピエロは政治や銀行業に全く興味がなく、第1次イタリア戦争に上手く対処出来ず市民から非難を浴びることになり、メディチ家はフィレンツェを追放されてしまうことになります。そして、メディチ銀行も破綻することになりました。長男ピエロは追放され溺死を遂げますが、次男ジョヴァンニ(1475-1521)は、スペインの支援を受けてフィレンツェに舞い戻り、ローマ教皇レオ10世として即位しました。免罪符の販売を認めることで、1517年のルターによる宗教改革のきっかけとなりますが、メディチ家の身分を高めることに成功しました。
その後メディチ家によって統治されたフィレンツェは、領土を拡大し最終的には1530年にトスカーナ大公国として名前を変えます。豪華な宮殿などが建築されましたが、大航海時代となりヨーロッパ覇権がオランダ、スペインに移っていくとトスカーナ大公国の国力はしだいに低下し、周辺国家にとって大した脅威でない小国となっていってしまいます。
第7代トスカーナ大公ジャン・ガストーネも弱っていく国を前にまともな政策を打ち出せず自堕落な生活を送っていました。このジャン・ガストーネの時に子宝に恵まれず1737年ガストーネの死亡により、メディチ家の血筋は途絶えることになります。
ハプスブルグ家やロスチャイルド家とは違ってメディチ家は現代までに血縁が絶たれたのです。ルネサンス期の繁栄のあと没落の道を辿ったのでした。

 

●感想
数々の有名な芸術家の作品を支え、ルネサンス文化を栄えさせたのは本当にすごいことだと思います。
最後は残念な終わり方ですが、今でもフィレンツェに絵画や建造物が残されているのはメディチ家の功績そのものではないでしょうか。
個人的には、メディチ家はハプスブルグ家やロスチャイルド家のようなちょっとアウトローなやり方(政略結婚、近親結婚、今でいうインサイダー取引を使って戦争で大儲けする)ではなく、趣味に投資して周りに認められながらのし上がっていったという正統派な感じがします。
フィレンツェに行ったことある人の感想を聞くと”街全体が絵画”のようだと良く耳にします。
いつか是非行ってみて肌で感じてみたいと思います!

 

~超名門貴族シリーズ~
【超名門貴族①】ヨーロッパの華麗なる王家一族ハプスブルグ家の歴史
【超名門貴族②】ヨーロッパを代表する財界一族ロスチャイルド家の歴史
【超名門貴族④】アメリカの世界一の石油王ロックフェラー家の歴史
【超名門貴族⑤】アメリカ経済を動かすモルガン家の歴史

タイトルとURLをコピーしました