【リベラル・アーツ】幸せになるための技術リベラルアーツとは!?

教養/豆知識

リベラルアーツという言葉を聞いたことがある人はきっと多くいらっしゃるのではないでしょうか。”教養”を学ぶ上でよく耳にする言葉になります。しかし、果たしてリベラルアーツとは「何か」を説明するのは難しいと思います。
今回はそんなリベラルアーツについてリベラルアーツとは何ぞや?実は教養を広げるという解釈とは似て非なるもの?リベラルアーツを学ぶことの重要性とは?について簡単にご紹介したいと思います!!(私個人の意見が多分に含まれていると思いますが、何卒ご容赦の程宜しくお願いします。)
山口周さんに学ぶ自由になるための技術リベラルアーツにはコナトゥスが大切!?の記事についても、是非御覧になって下さい。

 

 

●リベラルアーツとは?
リベラルアーツとは、簡単に言うと人間を良い意味で束縛から解放するための知識や、生きるための力を身につけるための手法を指します。また、自分を多様な世界へと解き放ち、より良い自分、より良い世界へと導く入口となります。そして、明確な答えがない課題に対応するための知識の活かし方を学ぶことになります。これは、学問というよりもスキルです。より能動的な学問であり、教育のトレンドであるアクティブラーニングとも方向性を同じくしています。

リベラルアーツとは人生を自由に生きるために、
・答えのないものに対してどう考えるか
・正しいとされている考えを疑う
・そして自分なりの答えを出す

というものになるのではないかと考えられます。

 

●リベラルアーツの言葉の起源
リベラルアーツは元々、ギリシャ・ローマ時代の″自由7科(セブンリベラルアーツ)”に起源を持ちます。具体的には、言語系3学である文法学、修辞学、論理学と数学系4学である算術、幾何学、天文学、音楽の7つになります。リベラルアーツの原型は、古代ギリシャのプラトン(紀元前427~347)が推奨した教育に遡るようです。そこからかなり時代が経った紀元前1世紀に、共和制ローマ期の政治家・法律家・哲学者だったマルクス・トゥッリウス・キケロ(紀元前106~43)が、これに「自由諸学芸であるアルテス・リベラーレス(artes liberales)」という名称を与えました。紀元後420年、これを”自由7科”として体系化したのが、著述家のマルティアヌス・ミンネウス・フェリクス・カペッラになります。ギリシャ・ローマ時代に「奴隷を束縛から解放する非奴隷のための術としての学問」として、人間が自由人としてイキイキと生きるための学問がリベラルアーツの起源になるようです。つまり人間を自由にする技ということになります。繰り返しになるかもしれませんが、リベラル・アーツの言葉の起源は、先ほど述べたラテン語の「アルテス・リベラーレス」の英訳になります。アルテスは英語のArtes(技)、リベラーレスはLiberales(自由)になります。その語源の名の通り、人を解き放つ学問であり、歴史や他人の意見、ありとあらゆる価値から一度自由になり、再び自己を形成するというものになります。

↑古代ギリシャではパラデイア(教養)が重視されていました。古代ギリシャのパラデイアに、その後「円環(エンキュロス)」という概念がくっついて、七つの科目がすべて繋がって一つの教養を作る、といった意味になりました。その後、自由七科は教科書化されて中世に伝わり、それが中世の教養教育となっていったのでした。
(元記事:https://liberal-arts-guide.com/liberal-arts/)

 

●リベラルアーツの学び方とは?
一言でいうと、「答えのないものに対していかに考えるか」がリベラルアーツの学び方になります。
その上で大切なのは、「議論を続けること、何かについて話し続ける。意見を交わし続ける。その中で様々な分野が互いに近づいてくる。それを続けることで、議論は成熟し、深みを増していく。」といった、リベラルアーツ教育の中心的なツールは、議論になります。議論を通じて、「自分が言うべき何かを持つこと。問いを発し、答えを見つけ出し、それを実現していくこと。」そのためには、幅広い分野の豊かな教養が必要になります。さらに異文化への深い理解、本質を見抜く洞察力と思考力が必要になります。
(元情報:https://www.youtube.com/watch?v=xun1lz2ueCc)

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』など多くベストセラーを執筆した著述家の山口周さんは、リベラルアーツを学ぶ上では、とにかく自らのコナトゥスを発動させることが大事だとしています。コナトゥスとは、事物が生来持っている、存在し、自らを高めつづけようとする傾向を言います。ものごとを相対化させ、複眼的に見るためにも、リベラルアーツは非常に有効だと言えるようです。
近代文明のあり方を否定して新しい国・社会を築こうとしたキューバの革命家チェ・ゲバラが生涯を通して読んでいたのが、現代の法学者や憲法学者が書いた本ではなく、ギリシャ時代に書かれた古典だったそうです。

 

●リベラルアーツの重要性とは?
自分の思考枠や解釈で理解出来ないこと、これを相手の思考枠で理解しようとすることで本当の理解に近づくことが出来る。つまり、相手の文脈の中で評価できるのだと思います。自分の思考枠にリベラルアーツを入れてしまうと本末転倒になります。今の時代は個人個人が大切で、それぞれの人がそれぞれの形で社会に溶けこむということが求められます。リベラルアーツとは自分が幸せになるために必要な知識になります。社会的評価は必要なのか?ということから疑うことを始めるのがリベラルアーツではないでしょうか。仕事が出来なくても幸せに生きている人はいます。そして、リベラルアーツを学ぶことで自分の事を本当によくわかるのだと思います。他社との競争ではなく、いかに自分らしさをフルに出せるか。そして、色んな力を調和する能力が身につくと思います。

 

●リベラルアーツは何に役立つのか?
リベラルアーツは、人の意見を聞いて集約する能力や、本当に相手を理解しようとする能力を養うのに役立つとされています。
まとめると、以下のようなことに役立つと考えられます。
1.他人からの信頼、人望を得られる。
2.人間としての器が大きくなり心が豊かになる。
3.知らなかった新しい素敵な事をどんどん知ることが出来る。
4.頭が柔らかくなり、どんな事でも対応できるようになる。

 

●リベラルアーツは教養を広げることではない?
リベラルアーツとは教養を広げることではないという見方もあります。

~以下記事について抜粋しました。~
ダ・ヴィンチは「リベラルアーツ的な知識人」の代表格として語られることがよくありますが、このとき世間では、リベラルアーツの核心が「教養を広げること」にあるかのように理解されています。しかし実際のところ、これは明らかに本質から外れたリベラルアーツ観だと言わざるを得ません。
とくに広く見落とされているのが、リベラルアーツ教育においては「文法学」「論理学」「修辞学」の3学こそが基盤であり、すべての学習のための究極的スキルとされていたことです。
「修辞学」と「論理学」は古代ギリシャの時代から現代とでそれほど意味の違いはなく、「修辞学」では相手と考えを共有する際の戦術や伝え方を学びます。とくに説得力・影響力・プレゼン力を重視したコミュニケーションが中心でした。「論理学」はご想像のとおりで、真実を知るためにいかに考えるかというクリティカル・シンキングや分析的思考のための手順やルールが教えられています。
一方、3学のうちの1つである「文法学」が、その名称から「単なる言語の習得」だと勘違いされてしまうからではないかと思います。「文法学」は、単に文法ルールの暗記科目などではなく、まさに知覚力の向上を目的にした言語学習だったのです。リベラルアーツにおける文法学は「知覚力を向上させる基礎科目」だったのです。(知覚とは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚などの感覚器官を通じて、外界の事物を見分け、とらえる働きのこと。)
人間の知的生産は「知覚・思考・実行」という3つのステージから成り立っていますが、リベラルアーツの基盤である3学は、この3ステージに見事に対応しています。本来のリベラルアーツは、知覚を起点とした知的生産のためにデザインされたトレーニングなのです。(知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしい情報を、人にわかるかたちで提出すること。この定義の中には3つの要素が含まれており、「頭を働かせて行う行為」「あたらしい情報をあつかう」「他の人に理解できる形でアウトプットを行う」がある。)
(元記事:https://diamond.jp/articles/-/251552)

 

●感想
リベラルアーツとは、「頭を使わずただ情報を収集する」とか「頭を使わずただ教養を広げる」とか「自分にしか理解できない形でインプットしている」といったことでは全然意味がないものだと改めて思いました。いわゆるただのウンチク家になって満足してはいけないのです。個人個人それぞれが自由に生きるために、知覚→思考→実行を出来るようになることが大事で、そのためには、ファーストステージである「知覚」をビンビンにさせる能力が必要であり重要であると感じました。知覚を起点として自分の知らない世界に耳を傾けていくことこそがリベラルアーツであり、答えのない問題に議論を重ねながら自分なりの答えを見つけていきたいと思います。

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