19世紀にソビエト連邦に実際に存在した独裁者ヨシフ・スターリンについて紹介したいと思います。
1人の強烈なキャラクターでその国のイメージを決めてしまうのは、極端な国の見方に繋がってしまいますが、その人物にスポットライトを当てることでその国やその時代の歴史、あるいはその時代前後の歴史についても理解が深まると思います。
尚、この記事はNHK「ザ・プロファイラー」を参考に執筆しております。
●プロフィール
ヨシフ・スターリン
※本名は「ヨシフ・ジュガシヴィリ」
生涯 1878~1953
生誕 ロシア帝国 グルジア地方ゴリ
ソビエト連邦の政治家、軍人。レーニンの死後、29年間に渡り同国の最高指導者の地位にあった。
一般に広く知られている「スターリン」という姓は「鋼鉄の人」を意味する筆名である。
レーニンも筆名で「怠惰な人」を意味している。
●スターリンの生涯
・少年が革命化になるきっかけ
1878年12月ロシア帝国 グルジア地方ゴリで生まれる。ロシア帝国に搾取される貧しい場所であった。
1892年、13歳の時に公開絞首刑の衝撃を受けたのが、彼の人格を形成するきっかけとなったとされる。教会学校に通いキリスト教を信奉していたが、ロシアに逆らったジョージア人が公開処刑されるのを目の当たりにした時、神の存在を否定することとなる。「神は実際は存在しないのだ」。
・レーニンとの出会い
1899年に教会学校を退学し、そして労働者を扇動し、地主や資本家にストライキを起こした罪で1903年シベリアに流刑される。この流刑地で彼の人生を変える1人の人物ウラジミール・レーニンの存在を知る。レーニンの思想は、地主や資本家などの特権階級から富を奪い労働者が主人公になるという思想であった。いわゆる社会主義国家の思想を標榜していた。
倒すべき相手は、ロシア帝国だと確信することとなる。倒すには1に銃、2に銃、3にまた銃と過激な思想を持つことになる。13年間に逮捕7回。
現金輸送車を襲撃し3億円を強奪する事件を起こしたりしている。レーニンに活動資金として提供していた。
そして自らに新たな名を名付ける。「スターリン」何事にも揺るがない鋼鉄の人と言う意味である。
・ロシア帝国の終焉
1917年、レーニンが扇動し、労働者や兵士が宮殿を占拠する。
200年続いたロシア帝国が集結し、世界初の社会主義政権ソビエト共和国が誕生する。レーニンをトップとし、配下6人を従えて7人の体制を敷いた。スターリン当時38歳は、自分以外高等教育を受けたエリートの中で末席にとどまるにすぎなかった。スターリンが最初にレーニンから受けた仕事は、いわゆる汚れ仕事。クラークと呼ばれる豊かな農民や地主から蓄えた食糧を奪うというものであった。そして抵抗するクラークを処刑するよう命じられた。
ここでスターリンは、「死が全てを解決する。人間が存在しなければ、問題も存在しないのだ。」と発言する。
社会主義国家の追い求めるものは、”階級のない誰もが平等な社会”である。
しかし、革命達成から20年人々が経験したものは、大凶作である。この理由について振り返る。
・最大のライバル「トロツキー」の失墜
1922年、スターリンは共和党書記長に就任する。この時のスターリンのライバルは同じレーニン配下の軍事担当大臣のレフ・トロツキーである。このレフ・トロツキーは、裕福なユダヤ人農家生まれのエリートで雄弁家であった。まさしくスターリンとトロツキーは水と油だった。そんな中、1924年にレーニンが死去する。
スターリンが葬儀を任される中、トロツキーは病気療養のためモスクワを離れていた。そこで、スターリンはトロツキーに嘘の葬儀日(モスクワに戻れない日程)の連絡をし、実際は嘘の情報より遅れた日程で葬儀を行った。レーニンの葬儀を欠席したとされたトロツキーの権威は失墜することになる。トロツキーを党から除名することに成功する。ここでスターリンはソビエト連邦の最高権力者となる。
・レーニンの神格化
スターリンはまず、レーニンを神格化するために銅像を作っていく。これは自分自身を神格化する狙いであった。そして、資本主義社会からソ連は敵視されていた。1927年にイギリスとの国交が絶たれる。戦争が起こる危機感を持っていた。そこでスターリンは1928年第一次5カ年計画を打ち出し、重工業を先進諸国のレベルまで一気に発展させようとする。
・農業の集団化
穀物の輸出を図るため、農業を国の管理の下、農民を大規模農場に集めた。収穫した穀物は全て国が管理することになった。そんな中、稀に見る大凶作が発生してしまうがスターリンは構うことなくノルマの量を徴収し続けた。農民の元には生き残るために必要な穀物が残らなかった。こうして1年で400万人の農民が餓死する。
この悲劇にスターリンの妻ナージャは夫を非難した。1932年妻ナージャはピストル自殺した。
「お前は私を見捨てた。まるで敵のように」
これによりスターリンの人間的な面は消えてしまったと考えられる。
ここから反抗するものは全て革命の敵と見なすようになる。反抗する農民は次々と強制収容所に送った。
・大粛清
1936年スターリン体制が磐石になる。今まで年間千人単位の処刑をしていたが、1937年、1938年と年間30万人以上を処刑し、文字通り大粛清を行い始めた。かのナチス・ドイツのヒトラーもこれに対し、「スターリンとその部下は病気なのだ。そうでなければ大粛清の説明はつかない。」と述べている。
まず、大粛清の退場になったのはレーニン配下の共産党幹部である。盟友で同郷のカーメネフを国家反逆罪として裁判が行われ判決後すぐ処刑された。そしてその妻子をも処刑した。共産党幹部全員を処刑したのである。大粛清は、農民の大量餓死者の責任追及をしてくるであろう人物達を底辺的に排除する狙いが1番の核心だとされている。そして粛清は一般人にも及んだ。
・密告社会
こうして密告社会となり、密告は自分の身を守るためにも使われるようになった。粛清された人と会話してる、一緒に写真に映っていると密告されただけで逮捕されるようになった。
そして、処刑ノルマとして地方の党支部に地区名と処刑人数と強制収容所送りの人数をノルマとしてあらかじめ人数を提示して目標達成まで処刑を続けさせたのである。
「逮捕した者の中に本物の敵が5%含まれいれば大成功である。」
こうして人々から考える力や余裕を奪い支配したのである。
・第二次世界大戦
1938年、スターリンは独ソ不可侵条約を結ぶ。
しかし、1941年ドイツはソ連に電撃侵攻する。ソ連は壊滅的な被害を受けソビエト軍の捕虜に長男ヤコフがいた。ドイツから捕虜交換を依頼されるが、拒否する。ヤコフはドイツの収容所で死去する。
「もし他の兵士達を忘れてヤコフだけ忘れていたら私は”スターリン”ではいられなかっただ、ろう。」
劣勢に立たされた軍にとんでもない指令を出す。戦闘から一歩でも退却した兵士は背後から射殺せよ。という指令であった。
1945年戦勝国となり、スターリンの支持は絶大なものとなった。終戦から8年後スターリンは部屋で1人で倒れており、75歳でこの世を去る。
●語録集、思想集
・お前は私を見捨てた。まるで敵のように(妻が自殺したとき)
・特権階級に同情する必要はない。彼らは根絶しなければならないのだ。
・死が全てを解決する。人間が存在しなければ、問題も存在しないのだ。
・投票する者は何も決定できない。投票を集計する者がすべてを決定する。
・1人の死は悲劇だが、100万人の死は統計上の数字でしかない。
・お前はスターリンではない。私もスターリンではない。
●感想
独裁者にはほぼ例外なく、コンプレックスを強く持っているという傾向があると考えられます。スターリンも決してエリートではなかったため、そこに強烈なコンプレックスを抱いていたということが、彼の根底にあったのではないでしょうか。
スターリンという人間をある意味で演じており、自分の中の神としての理想の人物”スターリン”を演じるためには妻を自殺に追いやることも息子を見捨てることも厭わないという思想には恐怖しか感じません。「お前はスターリンではない。私もスターリンではない。」この言葉は、まさに自分の中に存在する神を表していると思います。
2013年スターリン生誕135年に行われた世論調査でスターリンの行いを肯定的にみなす人は49%、否定的にみなす32%を上回っています。この事実は現代社会について改めて考え、こうした独裁者を振り返るいいきっかけとなることと願うばかりです。
~世界の独裁者シリーズ~
➡【世界の独裁者②】ポル・ポト〜国民の1/3を殺した姿なき独裁者〜歴史
➡【世界の独裁者③】毛沢東〜世界で1番多くの人を殺した独裁者〜歴史
➡【世界の独裁者④】ムッソリーニ〜ヒトラーが師と仰いだイタリアの独裁者〜歴史
➡【世界の独裁者⑤】ヒトラー~世界を震撼させたドイツの独裁者1/2~歴史
➡【世界の独裁者⑤】ヒトラー~世界を震撼させたドイツの独裁者2/2~歴史