【三国志キャラクター⑤】董卓~後漢王朝を滅ぼした恐怖の暴君~

教養/豆知識

三国志は現在でも多くの実業家や指導者が実際に仕事や組織を運営する上で参考にしているバイブルのような存在になります。今回は三国志の中で、いや、中国の歴史の中で最も極悪非道と言われる”董卓”という人物になります。
董卓のイメージは、漢王朝の権力を独占し、気に入らない人間全員を処刑し、自分の欲望の赴くままに政治を操ったというものです。しかし、若かりし頃の董卓は、実はそのような人物では無かったようです。まだ青年の頃の性格は、男伊達で気前が良い人物であったと言います。そんな董卓について簡単に紹介したいと思います!

 

●董卓プロフィール
出生 隴西郡臨洮県
出世 139-192
悪の限りをつくした独裁者

董卓は後漢の末期において、辺境の兵を率いて洛陽に乗り込み、実権を掌握した人物。その後、彼が3年に渡って暴政を行ったことで、後漢王朝の権威は地に墜ち、やがて魏に取ってかわられることになる。

 

●董卓の生涯
若い頃は、地元の涼州を放浪して、西方に権勢を持つ異民族羌族と親しく交わり、その顔役である全ての人間と交友を結んでいたとされている。董卓は訪ねてくる者を皆家に招き、宴を開き大いに歓迎した。顔役達はその心意気に感動し、国に戻ると千頭あまりの家畜類を董卓に送った。
その後、役人になった董卓は兵を率いて異民族と戦い百戦百勝の功績を挙げる猛将へと成長する。その功績で貰った恩賞は、全て配下の者に分け与えるなど英雄たる風格を備えていた。
一方、当時宦官と呼ばれる身分達が権力を握り私利私欲の政治を行い漢王朝の政治は腐敗していた。宦官とは、本来、政治とは無関係な存在である。しかし、宦官は皇帝の最も近くで世話をしているために歴代の皇帝は宦官に親しみを覚え次第に権力を持たせてしまったのである。宦官の中にも有能な人材がいたが、本来学は高くない者たちであるため、権力を持てば政治が乱れることは必然的であった。また、皇帝と近しい距離であるため処罰しにくい存在となっていく。
このような状況を快く思わないのが、当時黄巾の乱の鎮圧で功績を挙げた大将軍”何進”と名門袁家の長男”袁紹”であった。何進と袁紹は宦官の専横を憎み、一気に殲滅しようと考える。そこで何進は武力を背景に宦官を脅そうと思い、各地の有力な将軍を首都洛陽へと招集する。その呼び寄せられた将軍の一人が董卓であった。しかし、宦官たちもこの策略に気づき何進を暗殺してしまう。袁紹はこれに激怒し、近衛兵を率いて宮廷に一気に攻め入り、宦官を実力行使で全員殺し始める。そんな中、数人の宦官がまだ幼い少帝と、少帝の弟を連れて逃げ出していた。この連れ去られた少帝を袁紹よりも早く保護した人物が董卓であった。董卓は少帝と保護したことでその後ろ盾となることで政治の実権を掌握することになる。その実権を握った後の董卓が広く知れ渡る極悪非道な暴君のイメージとなっていく。

実権を握った董卓。まず、首都である洛陽を警護する役職に就いていた”丁原”という人物がおり、兵を率いて警備に当たっていて董卓は完全に掌握することが出来ていなかった。また丁原の配下には恐ろしい猛将”呂布”がおり、董卓の兵も手も足も出ない状態であった。そして、董卓の兵の数は丁原の兵の数より少なかった。そこで董卓は兵士の数千を夜中に城外へ出し、翌朝堂々と入城させるということを毎日繰り返す。こうして董卓が兵力を増してきていると錯覚させてその兵力の多さに誰もが恐怖を抱くようになったのである。さらに、董卓は名馬の赤兎馬や、金銀財宝を呂布に贈り懐柔させ、ついには呂布に丁原を殺させることに成功する。こうして董卓は洛陽の軍を全て手中に収め、実権を完全に掌握した。(赤兎馬は三国志演義)
完全に実権を握った董卓は、宦官によって失脚させられていた有能な名士たちを各地に派遣して統治させていった。しかし、名士たちすれば董卓は以前まで僻地の将軍にすぎなかった野蛮な人物であり、命令に従うことを良しとせず派遣された地で兵を募り董卓に反意を示した。また、当時高価で流通させる事が難しかった銅銭に注目し、銅銭を流通させようと考える。そこで董卓は銅を粗悪なものにして大量に量産するということを行う。これにより、作りすぎて銅の価値は下がり、偽物も横行することになる。穀物を一石買うのも数十万の銅銭が必要となった。これにより銅銭を用いる者は誰も居なくなった。今でいうまさに「ハイパーインフレ」の状態である。

身分や出生、失策から董卓は誰からも快く思われなかった為、恐怖政治を行うことになって命令を聞かない人間を引き締めることになっていった董卓。その恐怖政治の内容とは、民を殺して首を集め、馬にぶら下げながら行進。略奪や強奪は日常茶飯事。歯向かう人間は殺して、その肉を官僚に食べさせる。余興で人に油のしみ込んだ布を巻いて火あぶりにするといったものであった。こうして表立って董卓に逆らう人間は居なくなった。その悪名の中で最も名高いのが、少帝は全く自分の言葉に受け答えの反応を示さなかった為に愚鈍であるとして無理やり皇帝を廃し、そして殺すといったものである。この皇帝が臣下によって廃位されたということは事実上の漢王朝の滅亡である。そして次に帝位についたのは董卓の問いに明快に受け答えする幼い”劉協”であった。
その後、この董卓の非道を許しがたく思った各地の諸侯は挙兵し連合を組む。これが反董卓連合である。盟主は”袁紹”であった。しかしいざ董卓を前にすると誰もが自分は損をしたくないと思って牽制し合いまともに戦うことをしない状態となる。そして、董卓は洛陽を捨てて自分の根拠地である長安へ無理やり遷都する。その際洛陽からは人も財宝も全て長安に移してしまい同時期に少帝を殺害する。これにより、連合軍は戦いの最終目標を失い解散することとなる。目の前の敵が消えたことで董卓はますます権力を私物化していく。しかし、水面下では密かにとある策謀が動いていた。”王充”、”士孫瑞”、呂布の3人が董卓の暗殺を計画していたのである。この策謀により董卓は養子として信頼していたはずの呂布に裏切られ殺されてしまうのである。また、王充の恨みは根深く董卓の一族はことごとく処刑し董卓に媚びていた官僚たちも全て処刑する。董卓の死体は市場に引き出され、その体の油で草木は赤く変色し、へそに灯を燃やすと何日も消えることはなかったというほどの肥満体であったと言われている。

 

●感想
極悪非道の限りを尽くした董卓。かつては戦いで得た恩賞を配下に分け与えるなどとても男伊達で親分肌な性格であったことにはびっくりしました。。何が原因でここまで人は変わってしまうのか不思議で仕方ありませんが、身分や出生、失策などにより、誰からも快く思われなかったことが彼を極悪非道な人物、人でなしに変えていってしまったのではないでしょうか。人は何もかも人から認められなくなると自暴自棄になり、心が病んでいってしまうのでしょう。だからといってここまでの残虐な行いは全く正当化できず、理解できません。いつの時代もどの国でも国が衰退し崩壊していくときには非道な独裁者が出現するものです。一人の人間を時代や国が魔物に変えてしまったのが董卓なのかもしれません。

 

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