【超名門貴族⑤】アメリカ経済を動かすモルガン家の歴史

教養/豆知識

世界3大財閥の1つでアメリカ経済を動かす一族と呼ばれ現在のJ.P.モルガン・チェース、モルガン・スタンレーに引き継がれているモルガン家について紹介したいと思います!

 

●世界3大財閥とは
日本3大財閥と言えば、みなさんきっとご存知、三菱、三井、住友になりますが世界3大財閥と言えば以下の3つになります。
ロックフェラー(アメリカ)  石油 不動産
モルガン(アメリカ)  金融 鉄道
ロスチャイルド(ヨーロッパ)  金融 鉄道

 

●モルガン家とは
・アメリカの金融財閥の1つがモルガン家である。銀行持株会社JPモルガン・チェース・アンド・カンパニーをはじめ、総合製鉄U・Sスチール、世界最大の複合企業体ゼネラル・エレクトリックなどの生みの親として知られ、財閥の傘下企業は数百社にも及ぶアメリカ経済を動かす巨頭である。
・モルガン財閥は、金融財閥として長きにわたり国際社会に影響を与え続けてきた。約200年前にイギリスのウェールズから移住後、アメリカ3大財閥と呼ばれるまでに飛躍した。
・JPモルガン・チェースやモルガン・スタンレーといえば、ウォール街を代表する金融機関で、”モルガン”の名が入っている通り、「モルガン財閥」がルーツである。100年前まで、アメリカの金融業界では「J.P.モルガン商会」が圧倒的権力をふるっていた。特にすごかったのが、創始者であるジョン・ピアポント・モルガン(J.P.モルガン)である。
・モルガン財閥は、民間企業でありながら、国の外交を事実上担ったり、中央銀行のような役割を果たすこともあった。金融界と産業界のほとんどがモルガン財閥の傘下に入ったとされる。

●モルガン家の歴史
☆1世代目〜3世代目
・モルガン財閥は、イギリスのウェールズをルーツとする国際的な金融財閥である。始祖であるマイルス・モルガンがコネティカット州に移住してきたところから、モルガン財閥はスタートする。1636年にアメリカへ移住後、マイルス・モルガンから3世代にわたり農業や保険業・不動産業などで資産を蓄え、徐々に金融業へと進出していった。
・3世代目ジョセフ・モルガンが19世紀にコネチカット州でコーヒーや旅館、不動産、保険業などの事業を展開する。

 

☆4世代目 ジューニアス・スペンサー・モルガン(1813~1890)
イギリス銀行家と組む! J.S.モルガン商会設立!

・ジューニアス・スペンサー・モルガンは、コネティカット州ハートフォードの織物業で成功し、モルガン財閥の基礎を築いた。
・ジューニアスはイギリスの銀行家ジョージ・ピーボディとパートナーとなり、銀行業に携わり、家族とロンドンに移住する。そして、ピーボディ・モルガン・アンド・カンパニーを設立する。イギリスで株券の売買や鉄道レールなどの商品の仲介取引を行ったり、 1861年〜1865年の南北戦争では北軍の債券を扱い、普仏戦争ではフランス側の資金調達を行い、莫大な利益を得ていった。
・1864年、生涯独身で後継者のいなかったピーボディから事業を譲り受けJ.S.モルガン商会と改名、この銀行がモルガン財閥の基礎となる。ジューニアスは大国相手に債券の発行を引き受けるなどして成功を収め、ロンドンで最も有名なアメリカ人となる。

☆5世代目 ジョン・ピアポント・モルガン (1837~1913)
J.P.モルガン商会設立! 金融業界、産業界に進出!

・英国国教会アカデミーを主席で卒業する。フランス語やドイツ語をマスターし、ヨーロッパ各地の事業家との交流の際に非常に役に立つことになる。
・ジョン・ピアポント・モルガン(J.P.モルガン)は、ドイツのゲッティンゲン大学卒業後、1856年に父が経営する銀行J.S.モルガン商会に入行する。入行当初はロンドンで実務を行っていたが、その後アメリカのニューヨーク支店に移り、ウォール街の投資会社で働き、父と同じ金融業界で修行を始める。
・1861年には24歳の若さでアンソニー・ジョセフ・ドレクセルと共同で父の銀行の子会社となる金融会社ドレクセル・モルガン商会を設立(1895年に J.P.モルガン商会と改称)し、近代資本主義に相応しい銀行システムを構築する。当時としては天文学的な額の50万ドル以上を得る一流の金融人となった。
・J.P.モルガンは、父の銀行で働いた経験を生かし世界の国や地域を相手とした金融事業を展開する。中でも戦争時の資金調達は、モルガン財閥の礎を築くのに大きな役割を果たした。
・1861年から始まった南北戦争で、J.P.モルガンは旧式の銃を3.5ドルで買い集め、銃身内部に螺旋状の溝をつけ、ライフル銃に変化させて、新式の長距離射撃銃として22ドルで北軍に売り、大儲けする。南北戦争では、イギリスのJ.S.モルガン商会と共に北軍に資金提供して、北軍が買ったことにより、大きな見返りを受けることが出来ました。
・南北戦争後、鉄道金融へ進出してアメリカの鉄道の大部分を支配することになる。鉄道事業に対し多額の資金を融資することで12の鉄道会社をグループの支配下に置くことに成功する。鉄道会社の財務体質を改めながら鉄道事業の再建を図りながら鉄道の独占による利益の拡大を目指すこの再建と再編は”モルガニゼーション”と呼ばれて今に語り継がれている。

・工業金融も手がけて,1892年GE(ゼネラル・エレクトリック)の設立に出資。1901年鉄鋼大合同を指揮してU・Sスチール(ユナイテッド・ステーツ・スチール)を設立。両社を支配下に収めた他、金属,ゴム,石油,石炭,製紙,食品などの有力企業を傘下に加え巨大な財閥を形成した。
・J.P.モルガンの性格は父ジューニアスとは正反対にせっかちで向こう見ずであったが、判断力やひらめきは父親譲りで才能があった。
会社の許可なしで勝手にコーヒー豆の大きな取引を行い、莫大な利益をあげたという逸話がある。
・J.P.モルガンが大きな存在感を示したのがアメリカの1893年恐慌である。この不況により、1万5000件の企業が破産し、158の国際銀行と172の州法銀行が休業する。そして大量の金がヨーロッパに流出することになる。この状況を見て、ヨーロッパのロスチャイルド家と連携し、日本円にすると約1兆3000億円相当の30年期限金貨払い債券と交換に、350万オンスの金を集めて政府に売り渡すという提案をする。当時のアメリカのクリーブランド大統領は、これに同意するとモルガンとロスチャイルドが引き受けた金債券はあっという間に市場で売り切れ最悪の事態を免れることになる。
・ニューヨークからアメリカ全土に広がった1907年恐慌では、株価は軒並み大暴落し、正午近くには株式取引所がほとんど停止するという事態になる。失業者は300〜400万人に登った。この国家の窮地に再び各銀行の頭取を集めて数分で日本円にして約5000億円の資金を用意してもらえるように約束を取り付けた。それを10%の低金利で短期資金として貸し出すことを決定する。このニュースが流れると、各取引所では喝采が巻き起こったと言われている。株式取引所は閉鎖を免れた。
・ジョンはジュピター(最高神)・モルガン、大統領でさえ恐れる男と呼ばれるようになる。
1913年に息子のジャックが金融事業を引き継ぐことになる。

☆6世代目 モルガン (1867~1943)
WW1で軍需物資買い付けで活躍! モルガン・スタンレー商会設立!

・父J.P.モルガンの死後、J.P.モルガン商会の支配者となり、激しい性格の父とは反対に穏やかで愛想がいいと言われたが、財閥トップとしては期待されなかったが、現実には彼の代でモルガン財閥はさらに拡大した。
・父ほどのカリスマ性が自分にないことを自覚していたため、権限を側近たちに移譲し、自分より有能な人たちに任せることにした。現代の経営では当たり前のことだが、カリスマだった父J.P.モルガンには絶対にできないことだった。
・第1次世界大戦中に連合国のアメリカにおける軍需物資買い付けで活躍した。
・彼率いるJ.P.モルガン商会は第一次世界大戦でイギリス、フランスに莫大な戦費を貸し付けてそれを回収するために、当初敗戦国ドイツには賠償金はなしにするという話だったが、アメリカ大統領に圧力をかけて天文学的な賠償金をドイツに支払せる決定をする。こうしてモルガン財閥は、大企業および国家への融資や戦争への物資調達を行うことで最盛期を迎え、1920年代にはウォール街最大の金融財閥へと成長する。
・1929年世界恐慌で株価が大暴落すると、資本の一極集中を避けるための銀行法によりJ.P.モルガン商会は3つの部門に分割される。しかし、モルガン家は衰退することはなく、現在も金融の分野において影響力を発揮し続けている。
・1935年、J.P.モルガン商会は証券業務を分離してモルガン・スタンレー商会を設立する。第2次世界大戦後は独占資本に対する世論の反感、政府による反独占の政策もあり、その活動範囲はしだいに狭くなったが、モルガン・スタンレー商会は1959年にギャランティ・トラストと合併してモルガン・ギャランティ・トラストと改称する。そして、1969年持株会社 J.P.モルガン・アンド・カンパニー設立。

☆6世代目以降
・2000年、J.P.モルガン・アンド・カンパニーはロックフェラー財閥傘下のチェース・マンハッタンと合併してJ.P.モルガン・チェース・アンド・カンパニーとなり、世界の60ヵ国以上に拠点を置く大企業となっている。その総資産は日本の国家予算の2倍近い2兆ドルを超えると言われている。
・2008年、サブプライムローン関連企業を救済買収する。
・2020年、J.P.モルガン・チェース・アンド・カンパニーは、石炭産業への新規融資の停止を発表する。そして2020年度中に、グリーンエネルギー関連の開発に2000億ドルの資金供与をすることも発表している。このようにJ.P.モルガン・チェース・アンド・カンパニーは、環境を重視した経営方針を明らかにしている。

 

●補足
・個人の家に初めて電灯が灯ったのはJ.P.モルガン邸である。
・1912年タイタニック号の造船会社もモルガン家の所有である。
・J.P.モルガンは50歳代から生命保険に入れないほど、不衛生、不健康であった。
・6世代目モルガンの第一次世界大戦後のドイツへの天文学的な賠償金請求が原因でナチスドイツが生まれ、第二次世界大戦が発生する引き金となったとも考えられている。

●感想
4世代目ジューニアス、5世代目J.P.モルガン、6世代目モルガンと非常にモルガン家がいかにしてこれだけの巨大な財閥になっていったか調査したことで改めて知ることができました。
特に6世代目モルガンは、自分の力量が客観的に分かっており、自分より有能な人たちに権限を移譲する現在の経営スタイルを取り入れており非常に経営者としての素質が優れている人物だと感じました。モルガン家成功の秘訣は、J.P.モルガンの国際的な流れを読んだ国や国家事業への投資を行ってきたことだと思います。モルガン家は現在ESGへの取り組みを強化するために石炭への新規融資停止を発表しております。リチウムイオン電池メーカーに勤める私にとってもこうした大財閥が環境問題を重視することで非常に良い流れが出来ていくのではないかと喜ばしい気持ちです。今後も世界的なESG重視の動きはさらに拡大していくことでしょう。
※「ESG」とは、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の頭文字を取って作られた言葉。

 

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