なぜロシアとウクライナは揉めているのか!?日本も他人事ではない緊急事態

教養/豆知識

今、ウクライナとロシアはなぜ揉めているのでしょうか? 日本も決して他人事ではない?
2022年2月において現在進行形で問題となっているロシアとウクライナの問題についてご紹介したいと思います。

ロシアは日本の国土の45倍で世界の陸地の11%を占める大きな土地です。それにより、当然摩擦もおきやすいです。東では日本との北方領土問題。西ではウクライナと現在揉めております。
ウクライナは長くロシアの支配下でしたが、ソビエト連邦崩壊とともに独立しました。
その後、ヨーロッパ各国との関係を深めようとしてきたウクライナですが、それを快く思わないロシアとで対立を繰り返してきました。
2014年、ロシアがウクライナのクリミア半島を取り込んだ(クリミア併合)ことで両国の関係は一気に緊張感が高まっていくことになったのです。

以下からロシアとウクライナの問題について解説していきたいと思います!

 

●まずウクライナについて簡単に紹介
ウクライナは東ヨーロッパではロシアに次ぐ面積を持ち、ロシアを含め7カ国と接している。
国土の大半は、作物を育てやすい平原と高原で古くから農業が盛んな国であり、ヨーロッパの穀倉地帯とも呼ばれている。

また、天然資源も豊富であり重化学工業が発展したため、ソ連時代にはソ連最大の工業地帯と呼ばれていた。いわゆる農業も工業も非常に発展した国なのである。

一方で、国土が平坦で遮るものがないため昔から東側からの異民族の侵入に悩まされてきた国でもある。古代から様々な民族による支配を受けていてその中で混血が進んだ事がウクライナが世界一美女が多いと言われる理由となっている。
(女優のミラジョボビッチさん、柔道家のダリアビロディドさんなど)

                  

●ウクライナとロシアの関係は9世紀に遡る
ウクライナとロシアの関係は中世である9世紀から始まる。
当時のウクライナはキエフ大公国というキリスト教を国教とする国であった。

外敵や内紛により次々と分裂したキエフ大公国は、11世紀にモンゴル帝国(元)によって滅ぼされる。その過程で分離した北東部がモスクワ大公国となり、周辺の国々を取り囲んで現在のロシアの原型を作っていったのである。

一方の現在のウクライナである土地は、キエフ大公国が滅びた後は別の国として存続していた。
しかし、1340年に王族が途絶えてしまうことで西側にあるポーランドとリトアニアによる奪い合いが始まりその結果、北部と中部はリトアニア、西部はポーランドの支配下となってしまう。

その後、ポーランドとリトアニアの臣下としてロシアとの戦争に参加することとなる。その戦争に参加した勢力としてコサック(コサックダンスでおなじみ)と呼ばれる軍事的共同体があった。この高い軍事力を持つ共同体はどこの国の支配も受けることはなく、臣下でありいわゆる雇われ兵士であるにもかかわらず独立を保っているという特殊かつ強大な勢力であった。

コサックは臣下としてロシアとの戦争に参加したが、気に入らない事があると反乱を起こすこともあり、これを危険視したポーランドから弾圧を受けると今度はロシアからの協力を得てポーランドから独立を果たすために戦争を始める。この戦争に勝利したウクライナに独立国を作るが、結局はロシアに裏切られポーランドと勝手に話を進められウクライナの分割をされてしまう。

こうしてウクライナはドニエプル川という南北を通る川を境に3つの国の支配下となる。西側はリトアニアとポーランド、東側はロシアが統治することとなったが、その後ポーランドの勢力が衰えたことで西側もロシアが統治することとなった。

●18世紀末にウクライナのほとんどを支配下におく
さらにロシアは下流地域である黒海に突き出したクリミア半島も併合し、18世紀末にはウクライナのほとんどを支配下におく。ロシアはウクライナを保護国とするが、自治権を剥奪し、そしてロシアの文化を強要するようになっていく。

例えば、ウクライナ語はロシア語の方言とされ、ウクライナ語の書物の出版や流通も禁止された。また、軍事的共同体であるコサックもロシア軍に編入され日露戦争にも参加した。

こうした中、ウクライナにとって絶好のチャンスが訪れる。第1次世界大戦末期にロシア革命が起き、200年続いたロシア帝国が崩壊したことでウクライナは一致団結し、ウクライナ人民共和国として独立を宣言するのである。

しかし、さまざまな国の軍隊が介入し大混乱となりロシアの革命政府軍に敗れ、結局ソビエト連邦の支配下となり独立の夢は叶わなかった。

ウクライナは初めはソ連の優遇を受けていたが、政権内の反発を受けて弾圧政策へと転換する。政治家や文化人や知識人が次々と逮捕され、工業や農業で強引な政策を進められ伝統的な生活様式や多くの文化財も失われることになった。こうした政策により、2度に亘りウクライナでは大飢饉が発生し、400万から1000万人が亡くなったとされる。

そんな中、第2次世界大戦が勃発し、独ソ戦の激戦地となったウクライナでは当時の人口の2割である800万〜1400万人の死者が出た。

●第2次大戦後ウクライナ独立後も火種は続く
第2次世界大戦後、ウクライナは国際連合に加盟するがソ連の一部という扱いから脱することは出来なかった。一部という扱いから脱することが出来たのは1991年のソ連崩壊後であり、ウクライナは再び独立を宣言し、同年ロシア政府が承認されようやく独立国として承認されたのである。

しかし、ロシアとウクライナの関係はこれで解決したわけではなく、ウクライナは東西に分裂して違う国に支配された時間が長かったためその後もロシアとの緊張関係が続いていく。

東側は、ロシア人が多く文化も宗教もロシア寄り。一方、西側はかつてポーランドの支配下だったためヨーロッパとのつながりが強い。そのため、1つの国として独立しても東側と西側で対立の火種は残ったままであった。

2009年に選ばれたウクライナの大統領は経済的に依存していたロシアに配慮しヨーロッパとの協定を先送りにしてしまう。ロシアからの圧力を受けていたことも原因であったが、ヨーロッパ寄りである西側のウクライナ国民が反発しヨーロッパとの協定締結や大統領選挙の実施を求めて反政府デモを起こすこととなる。これに対してウクライナ政府とロシアはデモの鎮静化を図るが収まることなくデモ隊と治安部隊の激しい衝突となり、結果大統領は職を追われ新しい政権が発足した。

しかし、今度はウクライナの南端であるクリミア半島で親ロシア派の反乱がおき議会や空軍基地や空港などが占拠されるという事態になる。

●クリミア半島を巡っての対立
クリミア半島は18世紀後半から元々ロシアの領土であり、ほとんどロシア人が住んでいた。
第2次世界大戦ではロシアとの激戦地となりクリミア半島のケルチという市はロシアの英雄都市という最上級の称号を得ており、クリミア半島はロシアにとって大切な土地なのである。

1954年に当時のソ連の首相がクリミアをウクライナに渡すことになるが、あくまでソ連の所属内なので結局はソ連のものであった状態が続いていた。しかし、1991年にソ連が崩壊してウクライナが独立すると、クリミア半島ごとロシアの手から離れることとなる。

このような流れからクリミア内でもロシアに戻りたいという住民も多く、またロシアにとっても黒海に突き出すクリミア半島は海軍拠点として冬でも凍らない不凍港として重要な土地であった。ウクライナがヨーロッパと手を組むことでロシアにとって重要な土地を奪われることになったらロシアにとっても黙ってはいられないのである。

そこでロシアはクリミア半島でおきた反乱に乗じてロシア系住民の保護を口実に軍を投入し、実質的にクリミアを完全支配した。そして、クリミアでロシアに加わるかの住民投票したところ96%の賛成という結果になったと発表し、クリミアの独立からのロシアへの編入という形となり短期間でロシアに組み込まれてしまう。

このあまりにも強引なやり方に他国は猛反発することとなり、ウクライナは憲法違反だとしてロシアによる不法な占領を国際社会に訴えて争い始めていく。国際法では、外国軍の占領下で投票をしてはいけないといったルールがあるため、ロシアのやり方は国際法に違反すると考えられる。これにより、アメリカ、日本をはじめ先進諸国はロシアに対して経済制裁を加えるが、ロシアも経済制裁をやり返すことでロシア対他の先進国といった構図となっていく。

また、ロシア系住民が多いウクライナ東部でもウクライナ政府軍との泥沼の争いに発展し、2015年にドイツとフランスの仲介で停戦協定が結ばれてもこの争いは終わらずに現在においても緊張状態が続いてきた。

そして、2021年末ごろからロシアとウクライナの国境沿いに10万人規模のロシア軍が集結したことで冷戦以来の危機と言われており、ウクライナにいる外国人には各国政府から最高レベルの危険を示す退避勧告が出されている。

●ロシアの狙いは!?
ロシアの狙いは、ヨーロッパと北米が結んでいる軍事同盟であるNATOの拡大を阻止することである。NATOはロシアを取り囲むように拡大してきたという経緯があり、ロシアから見れば由々しき事態であり、恐怖を感じていた。そこにウクライナが新たに加盟しようとしているが、もし加盟を許してしまうと巨大な軍事同盟と国境を接することになる。NATOの拡大をロシアは警戒したのである。

遠く離れた日本もウクライナと友好関係を持ち、経済の影響も発生するので決して他人事ではない。

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