【なぜ中国は厳しい情報統制をするのか!?】易姓革命の思想について

教養/豆知識

中国政府はなぜ厳しい情報統制を敷くのでしょうか!?
前回の【なぜ中国は周辺諸国と揉めるのか!?】中国の大きなプライドと大きなトラウマでは、中国政府がなぜ国外に対して暴力的なのかを解説しました。
今回はなぜ中国政府は国内政策として厳しい情報統制を敷いているのかについて解説したいと思います!!
(この記事は、『マンガゆげ塾 中国とアラブが分かる世界史』を参考にしております。)

 

いきなり結論ですが、中国政府が厳しい情報統制をする理由はズバリ以下になります!
➡孟子が唱えた”易姓革命”の思想による農民の反乱により多くの王朝が滅亡してきた背景があり、そうした民衆の反乱を恐れ未然に防ぐために情報統制をしているのです。

 

それではこの中国の歴史について順を追って説明したいと思います!

目次
・地理的背景の違い
 -ヨーロッパの革命は都市から
 -中国の革命は農村から
・思想的背景の違い
 -ヨーロッパは王権神授説
 -中国は易姓革命の思想

・地理的背景の違い
-ヨーロッパの革命は都市から
ヨーロッパにおいて初めて貧しい人々が政権を手にしたのは1789年に発生したフランス革命になります。革命の場所は花の都パリになります。ヨーロッパでは、1381年のイギリスでのワット=タイラーの乱や1524年のドイツ農民戦争などのいわゆる”農民一揆”が勃発しましたが、全て鎮圧されてしまい政権交代は置きませんでした。ヨーロッパでは、革命は農村からは始まりませんでした。都市から始まったのです。

農村の人々は、農業に従事し分散して住んでおります。その物理的な距離が農民の集結そして反乱を困難にしたのです。

一方、工業化の進展によって形成された都市では農村から来た労働者が集まり人口密度は高く簡単に集会を開くことが可能になります。よって都市では貧しい労働者たちの組織化が可能となり、その結束力で政権を打倒していったのです。こうしてヨーロッパの革命は都市から始まったのです。

-中国の革命は農村から
中国の地理は長江や黄河といった大河があり、周辺の豊かな土壌に恵まれた中国では農村の人口密度が高く、また平野が広大で東西の2つの大河はその2つをつなぐ南北の運河もあるので人々の行き交いはとても盛んで連絡も容易に出来ました。反乱が起きれば情報が瞬く間に各地に広がり農民一揆は中国全土に広がっていきました。

毛沢東が言うように中国の革命は農村から始まる所以になります。

 

・思想的背景の違い
-ヨーロッパは王権神授説
ヨーロッパの王権に対する考え方の基本にあったのは長らく王権神授説でした。王権神授説とは、王の権利は神によって与えられたものであり王は神以外の何人にも縛られることはないという論理になります。そのため身分制度バリバリのヨーロッパでは王権の継承権は親族によって独占となりました。農民の子供は農民のままで王様になるなど100%無理でした。宗教改革で有名なルターでさえ農民が自由を求めて蜂起したドイツ農民革命では秩序を優先し、上流階級である諸侯の側につきました。

ヨーロッパにおいて人民の幸福を害する政府は倒してもよいといういわゆる”抵抗権”が広まったのはイギリスのジョン=ロックが17世紀に理論付けしてからになります。ジョン=ロックは王権神授説を否定し、権力に対する個人の優位性を説き、1688年に起きた名誉革命を擁護し民主主義の発展に大きく貢献しました。

-中国は易姓革命の思想
一方、中国の君主(王権)への考え方の基本にあったのは孟子が提唱した”易姓革命”の理論になります。「天は己に成り代わって王朝に地上を治めさせるが、徳を失った現在の王朝に天が見切りをつけたとき、革命が起きる」とされました。それを悟って、君主が自ら位を譲るのを”禅譲”、武力によって追放されることを”放伐”と言いました。

この易姓革命の思想は例え自らが農民であっても自分が新しい君主になってもよいという思想に繋がりました。

しかしこの易姓革命は王朝交代を果たしてもゴールではなく、王朝を倒した後で自らが天に選ばれたことを証明する必要がありました。それを証明しなければ新たな勢力による革命が起こってしまうからです。そのため、為政者(政治を執り行う人物、為政家、当局者)による歴史編集プロジェクトが王朝交代の度に行われ前王朝の悪逆非道ぶりを過度に書き、捏造していたとも言われております。

一見すると理解に苦しむ中国共産党の抗日記念館や愛国教育も中国人の民衆に対するアピールなのです。中国の政治権力は常にその正当性をアピール続ける必要があります。そうしないと繰り返してきた歴史のように自らも革命によって葬られしまうことになりかねません。

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