山口周さんに学ぶ自由になるための技術リベラルアーツにはコナトゥスが重要!?

教養/豆知識

前回の【リベラル・アーツ】幸せになるための技術リベラルアーツとは!?の記事に続きまして、今回もリベラルアーツに関する情報をご紹介したいと思います!
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』など多くベストセラーを執筆した著述家の山口周さんのリベラルアーツに関する記事の中から”コナトゥス”というものの存在と重要性を知りました。

~以下山口周さん記事抜粋~
近頃、美意識に限らず、物事を感覚でとらえようとする動きがみられる。「今という瞬間に意識を向けるもの」すなわち、言うなれば外部ではなく、自分の内部に目を向けていくための手法であるマインドフルネスが重宝されている。ハーバードやスタンフォードなど、アメリカの大学の学部ではリベラルアーツ系の講義を中心に据えていることが多い。そんな現在において必要なものは、リベラルアーツである。リベラルアーツとは、コンピューターでいえばOS「私たちの行動や判断を司るソフトウェア」のような根本思想である。どの場面で何を使うかというのはOSの判断であり、そのため自らの足元をより確かなものにするためにはOSが重要となる。そして、リベラルアーツを学ぶ上で重要となるのは人間の本質である”コナトゥス「自分が自分であろうとする力」”への理解である。
(https://gendai.ismedia.jp/search?fulltext=%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%84&media=pa)
今回は、そんな”コナトゥス”について紹介したいと思います!

 

●コナトゥスとは?
リベラルアーツの重要性について野田智義さん(特定非営利活動法人アイ・エス・エル創設者)の答えは「人間を理解するための知恵を与えてくれるから」というものである。一人一人の「人となり」がいちばんよくわかるのは、その人は何がものすごく好きなのか、何に特別なこだわりを持っているのか、何にいちばん時間をかけてきたのか、あるいは逆に何がものすごく嫌いなのか、何にいちばん腹を立てたのか。そうした喜怒哀楽、つまりその人の心・感情が強く動かされる部分であると考える。17世紀の哲学者スピノザは、人間の本質を最も指し示すものとして、「コナトゥス」という言葉を用いた。「コナトゥス」とは、心の哲学や形而上学で使われた術語で、事物が生来持っている、存在し、自らを高めつづけようとする傾向、自分が自分であろうとする力である。そして、今日の私たちはビジネスでもプライベートでも多くの人たちと出会い、誰もが他人との関わり合いをお互いに心地よくコントロールできればと思っているが、最高の武器は、「他人のコナトゥスを的確に理解する」ことである。相手の人間の本質に関わる部分がわかれば、その人物像が立体的に感じ取れて、場面ごとに相手がどう感じ、何を考え、どんな反応を示すのかということが読めるようになる。そう考えれば、今日の私たちが享受できるリベラルアーツとは、人間が何を愛好し、何に深く感銘を受けてきたかという「人類のコナトゥス」の膨大なリストなのである。人々が深く心を動かされ、長く広く共鳴を受け続けてきたものが、絵画、音楽、文学、哲学といったコンテンツとして残されてきた。まったく未知のテクノロジーが登場し、社会の中で本格的に実装されたとき、一体何が起こるのか、果たして倫理的に許容されるのか、そういった広い見通しが強く求められる局面で、頼りとなるのは結局、リベラルアーツしかなく、人間の行動と反応の歴史に蓄積された人類の「コナトゥス」をもって対処していくよりほかに術がないと思う。

 

●コナトゥスが日本を活性化する!?
個人のコナトゥスを発揮することが、一つの手掛かりになると考える。コナトゥスとは先に述べた通り、「自分が自分であろうとする力」を意味します。民間企業、企業の中の部署、家族、個人の生き方というように、個人の裁量を発揮できる身近な単位においても、量的なモノサシが幅を利かせているところに、今日の閉塞感や生きづらさが生まれている。そして、ひいては生産性の低さや競争力の弱さにもつながっているように思われる。私自身もかつて身を置いていたコンサルティング業界には、今でも量的なモノサシだけで周囲と競い合い、そのような消耗戦から抜け出せずに、苦しみながら働き続けている人が多くいる。本来であれば、他人と比較できる量的な指標とともに、一人一人に固有のコナトゥスという質的な指標も持ちながら、バランス良く自らの人生をマネージしていくことが、成熟した人間の“知性”だと思う。コナトゥスが活性化し、自分が自分らしく心が躍動する場所に身を置くと、その人はものすごく能力を発揮する。かねてから日本は、欧米先進国と比べて、仕事を通して生み出される価値そのものが低いと指摘されてきたが、この問題を克服するためにも一人ひとりのコナトゥスが生かされているかどうかが大きなカギになってくると思う。

 

●コナトゥスを発揮した例は?
自らのコナトゥスに従って成功した日本人として挙げられるのが、阪急電鉄の事実上の創設者”小林一三”である。
私(山口周氏)が経営者の中でいちばん尊敬する人でもある。彼は1892年に慶應義塾を卒業して三井銀行に入ります。明治時代中期でも典型的なエリートコースでしたが、仕事はそこそこに趣味や道楽に明け暮れていて、会社からは冷遇されていた。
小林一三は34歳の頃、そんな境遇に見切りをつけ、現在の阪急電鉄の前身、当時はまだローカル線のベンチャーだった箕面鉄道(箕面有馬電気軌道)に転職する。彼はそこで私鉄のあらゆるビジネスモデルをつくり上げた。路線の先にベッドタウンを造成したり、誰もが家を買えるようにと住宅ローンの仕組みをつくったり、日曜日にも電車に乗ってもらうため駅の上にデパートをつくったり、宝塚歌劇団を創設したり、などなど。閑散期のお盆に全国から乗客を集めるために、甲子園の高校野球大会まで企画した。
同じ人間が、仕事を変えただけで、銀行員時代からは信じられないような創意を発揮したのである。これは小林一三が、世間一般で良いとされるような、外側から与えられた尺度ではなく、自分自身のコナトゥスに従って、自分の心が動くような仕事に取り組んでいった結果だと思う。
現代は、自分のコナトゥスを発揮することがそのままグローバルな競争力に直結する時代でもある。
広島の”マルニ木工”は、月産50個ほどの、地方の小さな家具屋だったが、そこでつくられた椅子が今では何とアップルの本社オフィスで採用され、何千脚という単位で納入されている。実は少し前までは会社存亡の危機に直面していたが、社長さんが、会社がつぶれる前に自分自身が本当に理想とする「日本発の世界定番の椅子」をつくりたいと、世界的に著名なデザイナーの深澤直人さんとタッグを組んで、その理想を実現させた。それが当時のアップルのデザイナー、ジョナサン・アイブの目にとまって先の納入へとつながったのである。これも、自分の心が動かされるものと仕事をシンクロさせることが、非常に大きな競争力を生み出すことを物語っている。一方で、マルニ木工にその座を奪われたアメリカ現地のオフィス家具メーカーが存在していたことも事実である。自分の心が動かされない、コナトゥスの動かない状態で働いている個人や組織が、相対的に競争力を失っているということでもある。今ここで大胆に発想を転換できたら、社会が大きく変わるのではと考える。外側から与えられるモノサシに囚われずに、たとえ知らない会社でも、自分にとってすごくワクワクする仕事ができそうな会社を探して社会全体で大移動を始めていく。そうすると、大数の法則が働き、より自分が活躍できる場所にいる人が多くなる。結果として、職場や社会全体の生産性まで上がっていき、イノベーションが起こり、個人も組織もとても強くて幸せな世の中になるのではないだろうか。

 

●コナトゥスを発揮するには?
自らのコナトゥスを発動させるためには、自分がいま、どんな常識やシステムに囚われているのか、それを見極めることが大切になります。そのためには、物事を相対化させ、複眼的に見ることが重要ですが、そこで非常に有効なのがリベラルアーツです。自分たちが今、常識と考えているものが一種の自然淘汰として落ち着いた結果のものなのか、それとも効率性や省力性を追求した結果、不自然ながらまかり通っているものなのか。リベラルアーツは私たちを取り囲む常識の正体を見抜く感度を養ってくれるものです。実は不自然にまかり通っている常識の中にこそ、イノベーションの種が存在していて、それを超えるような代替品を提案できれば、多くの人から共感を得て世の中を大きく変えることができるかもしれないからです。
近代文明のあり方を否定して新しい国・社会を築こうとしたキューバの革命家チェ・ゲバラが生涯を通して読んでいたのが、現代の法学者や憲法学者が書いた本ではなく、ギリシャ時代に書かれた古典だったことも示唆的です。長い淘汰に耐えてきた知、あえて自分からは遠く離れた古典を読んで現代を相対化する視点は、未来が見えない現代だからこそ、これからの社会像を模索するためにも、さまざまな意味で“役立つ武器”となるだろう。

 

●感想
この記事を読んで、いわば、リベラルアーツと、コナトゥス(自分が自分であろうとする力)は切っても切り離せない関係であると思いました。リベラルアーツを学ぶ上では、コナトゥスの理解が重要であり、コナトゥスを発揮するには、リベラルアーツが重要であるということ、お互いが密になる必要があるのだと感じました。「自分が自分であろうとする力」、まさに尾崎豊さんの「僕が僕であるために」が浮かんできました。彼は、まさにリベラルアーツの深い世界を彷徨っていたのではないでしょうか。彼ほどとは言いませんが、感覚を磨く研ぎ澄ます能力を身につけていきたいと思います。

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