テキトー男!高田純次!御年74歳(2021年3月時点)。いまだ現役バリバリの明るい楽しいダンディーなオジさんで日本を代表するコメディアンになります!
そんな私も大好きな高田純次さん!この底なしの明るさやユーモア、笑顔の裏には数知れぬ苦労や努力があったのです。
そんな高田純次さんの知られざる半生について簡単にご紹介したいと思います!
●プロフィール
職業 タレント、コメディアン
愛称 テキトー男、純ちゃん、純じい、Mr適当、TJ、ミスター無責任
芸能事務所 テイクワン・オフィス 代表取締役
「テイクワン・オフィスという芸能事務所も経営しています。主なタレントは私自身ですから、私に仕事がなければ事務所の経営が傾きかねないという危機感は常に持ち合わせるようにしています。」とのこと。
●波瀾万丈の人生
1947年生まれ、会社員の父と専業主婦の母の間の2人兄弟の次男として東京都調布市に生まれる。
しかし、兄を肺炎で亡くし、実母も4歳のときに病死。物心がついたときには父の再婚相手と祖母の4人暮らしだった。
1965年、受験に失敗し、一浪するがまたしてもことごとく大学受験に失敗。専門学校東京デザイナー学院に入学。
1971年、24歳の時に俳優を志す。「自由劇場」の研修生となるが1年で退団する。そして、イッセー尾形氏らと共に劇団「うでくらべ」を結成するが、これも半年で解散する。その後、結婚する。
1973年、26歳から30歳まで4年間、サラリーマン生活を送る。(宝石販売会社トキモトに入社し、宝石営業とジュエリーデザイナーの掛け持ちとなる。)
1977年、30歳でサラリーマンを辞めて、劇団「東京乾電池」参加。(「自由劇場」の研究生時代からの知り合いだった柄本明と、偶然新宿の居酒屋で再会したことをきっかけ。)
そこからのバイト生活は、4、50種経験する。
1979年、32歳の時にテレビデビューを果たし、出演番組は『笑点』。
1985年、38歳の時からビートたけしの冠番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に、1996年に番組が終了するまでの11年間レギュラー出演。
1989年、42歳の時に独立して株式会社テイクワン・オフィス設立。現在、ドラマやバラエティーを中心とするテレビ番組において活躍中。
●売れるまでの苦労、仕事への考え方
高田純次さんは30歳でサラリーマンを辞めてから妻子を養うために「警察に捕まるようなこと以外の職は、一通りやった」と語っているとおり、現在のタレントとしての姿の以前には、妻子を養いながら下積み、不遇な時代があったようです。
(以下は記事原文抜粋)
-4、50種のバイト経験
就職した会社を辞めて劇団入ってからは、いろんなバイトをやりましたよ。4、50種はしましたね。アスファルトにまくためのジャリの運搬とか、葬儀屋の運送とか、文明堂のカステラの配送とか。ウエイターは給料が安かったからあんまりやらなかったなあ。
ワリが良かったのは催事のバイト。駅ビルやスーパーでワゴンに商品を載せて販売するんですけど、僕はお茶の量り売りをやりました。(中略)〜
とにかく時給や日給がよかったんで、肉体労働はかなりやりました。大山にあった飯場(工事などの労働者のために設けられた宿泊設備)に行って、そこから車でいろんな道路工事の現場に連れて行かれるんだけど、代官山の道路工事現場で生き埋めになったんですよ笑。2m50cmくらい掘っていた時、穴を掘った際にできた土の山が崩れてきたんです。(中略)〜
それですっかり怖くなっちゃって辞めましたね笑。
(元記事:https://www.baitoru.com/contents/star/39/)
-円形脱毛症に
芝居の稽古が終わった夜7時から朝6時まで工事現場のアルバイトをして懸命に働いた
家族のため、睡眠は毎日3時間、疲労がたまり円形脱毛症にもなった
純次は適当とは程遠い、責任感の強い男
当時、純次が住んでいたのは家賃2万2千円の風呂なしアパート
お金を少しでも節約するため、妻と娘だけを銭湯に行かせ、純次は台所で体を洗っていた
ある日のバイトのこと、純次がつるはしで穴を掘り、
掘り出した土は板でとめて崩れないようにしていた
しかし突然 土砂が崩れ、純次と作業員が生き埋めとなった
穴の深さは5m、幸運にも純次は助け出された
家族のために死ぬわけにはいかない
純次は柄本明に紹介してもらいテレビ局で大道具の仕事を始める
テレビに出演するまでの数年間、この仕事で家族を支えた
(元記事:https://geinou.myblogs.jp/高田純次/)
-アルバイトへの考え方
アルバイトすると疲れちゃうでしょ。「この先どうなるのかな」なんて考えるうちに寝ちゃうから、30歳から34歳の間はとにかく眠かった笑。当時、1歳の子供もいて、「何か悩むよりも、少しでも給料のいいアルバイトをしてミルク代を稼げ」ってカミさんに言われてたし。とにかく毎日がハードで「眠い」としか思ってなかったですね。
「これがやりたい!」という目標のある人は、アルバイトで楽しい思いをすると目標を見失っちゃうから、何も考えられないくらいキツいアルバイトをした方がいいと思います。
アルバイトがキツいと、何も考えないので本来の目標が揺らがない。楽しいアルバイトをしちゃダメですね。必ずそっちに気持ちがブレちゃいますからね。僕は日給のいい仕事しかするつもりがなかったから、肉体労働ばっかりになりました。だからアルバイトに溺れなかったんですよね。人間はどうしても楽な仕事に慣れちゃうし、溺れるからね。将来、本当にやりたい事があるんだったら、アルバイトではキツい仕事を選んだ方がいいと思いますよ。
(元記事:https://www.baitoru.com/contents/star/39/)
-人生を振り返る
私の人生を大きく左右したのは高校と大学、それぞれの受験の失敗でした。特に一浪までして頑張った大学受験ではことごとく不合格。あまりのショックで目の前は真っ暗になりました。それでも、好きだったグラフィックデザインを学べる専門学校をなんとか見つけ出して進学することができました。
高校受験に失敗、大学もダメ。専門学校も落伍したとなると、自分の人生は一体どうなるのか―。そんな不安の中、憧れていた横尾忠則氏の著作を貪るように読み、必修ではない卒業絵画も提出するなど、とても熱心に勉強した記憶があります(笑)。
卒業後に劇団の研究生になってはみたものの、安定した生活を求めてすぐにサラリーマンに転身しました。そんなある日、偶然再会した研究生時代の仲間に「公演に出ないか」と誘われたんです。悩んだ挙句、それまでに得た貯蓄で1 年程度は生活できるだけの余裕があったこともあり、サラリーマンを辞めて芝居の世界に戻ろうと決断しました。もちろん下積み生活ですが、だからこそいまがあるのだと思っています。
振り返ってみると、これまで本当にやりたいことに目標を定めて、一途に努力をするということを私はしてきませんでした。その結果、数々の失敗や挫折を繰り返し、自分が思い描く「自分像」を何一つ実現できなかったように思います。
だからなんでしょうね、人生の選択の際には「いま、この時に燃えたい」という気持ちで臨んだほうが、男としてはカッコイイのではないかと思ったのです。
だからこそ、若者のみなさんにも、就職活動において「こころが燃える仕事」を選んで欲しい。「大企業」だとか「安定」、「待遇」なんて二の次で結構。失敗しても大丈夫。何歳になってもその気ならば、道はきっとあるはずです。
(元記事:http://www.shigotonogakkou-navi.com/m/journal/3)
●名言10選
大変な下積み生活があったからこそ以下のような名言が出てくるのだと思います。
まさかあの、高田純次が発した発言とは思えない程、深く、そして納得、胸に刺さります。
1.
「人並みの努力をしたかといえば、そんなこと全くない。ただ一つ、他人よりも少しだけ「楽しく生きよう」と思っていたかもしれません。」
⇨とにかく楽しく生きようとする気持ちが伝わってきます!
2.
「人生いろいろ」って言うけれど、僕の場合は「人生そこそこ」を目指してるつもり。そこそこ仕事があって、そこそこお金があって、そこそこの車に乗って、あとはそこそこのムヒヒがあって。そんなところでいい。人間の欲は限りないというけれど、お金持ちになりたいと思ってそうなったとしても、それに完全に満足できる人はなかなかいない。そうなったらそうなったで、ピーピー言ってる貧乏人の暮らしが妙に羨ましく見えてきたり。隣の芝生っていうか、ないものねだりをするのが人間ってものだから。
⇨苦労したからこそ、こういった考え方が出てくるのでしょう!説得力があります!
3.
思うようにいかないのが人生というもの。「願いが叶う」とか「夢が叶う」っていう類の本がいっぱい出ているけれど、あれはいかにみんなの夢や願いが叶わないかっていう証明みたいなもの。
⇒だからあんなに夢についての本があるんだ!と改めて納得しました。笑
4.
苦しい時は苦しいんだから、ふざけてる余裕なんかないっていうのももっともだけど、泣いても笑っても借金が減るわけじゃないんだから、ふざけてみる。笑ってみる。冗談をいう余裕もなくなると人は死んじゃうって考えるのは、単純すぎかな?少なくとも「今日電車に飛び込むのはや〜めた。明日にしよう」くらいの効用はある気がするけど。で、明日になったら、宝くじ3億円が当たったりして。あるかもよ。
⇨苦しんだり悩んだりとことん追い詰められた過去が高田純次さんにもあったのではないでしょうか!?
5.
毎年目標を聞かれると、『ただ生きる』と答えています。これが僕の哲学、目標ですよね
⇨生きることの難しさを心の底から理解しているのだと思います!
6.
やってよかったことをひとつ挙げれば、やっぱり30代で自分の道を選んだことかな。人生でやりたいことは早く決めたほうがいい、というけれど、俺はなかなか決められなかった。30代になっても、ずいぶん迷ったよ。でも迷った末に、エイやっ!と思いきったのがよかったのかもしれないね。ただそのときは、自分なりにアウトローとして生きる覚悟はしていたと思うよ
⇒やはりここぞという時の覚悟が重要だと感じました!
7.
何もかも上手くいかないと気が済まない完璧主義者は、それがいいことだと思っているフシがあるけれど、それで周りが迷惑することもあるんじゃないかな。
⇨完璧じゃなくてもいい!そんな思いが伝わる言葉です!
8.
「なんで俺はダメな人間なんだ」そんなふうに思いはじめたらキリがない。それよりもはじめから、「イチローだって7割近くは失敗する。3割成功すれば一流なんだから」と思った方が気が楽になる。
⇨完璧人間などいない!そう考えることで気を楽にする!
9.
やっぱり人間は難しいことに挑戦したほうがいいよ。オレはいやだけど。
⇒なんか信頼できる言葉。。笑
10.
まあ何でもやればいいし、やってることを天職だって思い込むことも重要だと思うよ。その仕事がだめだったら、また次の仕事を天職だと思い込めばいいんだから。何でも思い込みだって。オレは世界一男前に生まれちゃって幸せだし、うちの女房は世界一きれい、俺の脚は日本一長いし、足の裏はバラの匂いがする。とにかく思い込む
⇒自分で自分をマインドコントロールする!自分を愛し自分を信じること!
●感想
テキトー男の愛称でおなじみの高田純次さんだけど、全然テキトー男ではなく苦労人で30歳でサラリーマンを辞めて、一旦諦めた俳優を再び目指そうと決断したこととか、生き方がめっちゃかっこいい!ロマンを感じます!夢を叶える為、必死に努力した人であり、また家族を支えようという非常に責任感の強い人だと思います。
奥さんも、定職につかず俳優を目指し、きっと当時お金がなかった高田純次さんについていったのはすごい!それだけ、男前だし魅力があったんだと思います。
ダウンタウンのまっちゃん、ビートたけしさんのようにお母さんからたくさんの愛情を貰って育てられたタイプの芸人。さんまさんや高田純次みたいに母の愛情をあまり受けずに育ったタイプの芸人。色々な境遇の芸人さんがいて面白いですね。さんまさんや高田純次さんのこの2人には底なしの明るさを感じますが、不遇な生い立ちであることを知るときっと考えられないくらいの努力があったんだと思います。
これからもテキトー男!高田純次さんを応援し続けたいと思います!