【超名門貴族①】ヨーロッパの華麗なる王家一族ハプスブルグ家の歴史

教養/豆知識

ヨーロッパの超名門王家ハプスブルグ家について紹介したいと思います。

ハプスブルク家は、現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族になります。13世紀~20世紀初頭までの約650年間に及び神聖ローマ帝国とオーストリア王朝の皇帝として、ヨーロッパを牽引した名門です。15~16世紀の最盛期には、ヨーロッパの大部分と新大陸の南米まで統治していました。
後で理由を述べますが、「呪われた血族」と呼ばれヨーロッパの繁栄と悲劇を背負った貴族になります。

 

●ヨーロッパで栄華を極めたハプスブルグ家
元々は、11世紀にスイスに築城されたハプスブルグ城がハプスブルグ家の由来になります。当時はスイスの片田舎の小貴族でした。
領土を多く持つことが貴族の大きさを表す象徴でしたので、その領土を広げるのは言わずもがな”戦争”です。
珍しいことに、ハプスブルグ家は武力を使わずに政略結婚により権力を拡大していきました。
政略結婚とはハプスブルグ家に生まれた者を次々と有力な王族や貴族と結婚させる政略的な結婚のことで、そうすることでスペイン、オーストリアといった国々を中心に多大な権力を握ることになります。
スペイン系ハプスブルグ家とオーストリア系ハプスブルグ家に分かれ、ヨーロッパの西と東から睨みを効かせることが出来るようになりました。
1273年ルドルフ1世が初めて神聖ローマ帝国の君主の座につき、15世紀半ばハプスブルグ家の地位はヨーロッパで確たるものとなります。
同家から5人目の神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世が他国の王家と婚姻関係を結びました。「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」という家訓はここで作られました。

 

●ハプスブルグ家を襲った悲劇
しかし、ある一定の時期から高確率で障害のある子が生まれるようになりました。ハプスブルグ家の絶頂期に君臨し、同家の1つの頂点を作り上げた神聖ローマ帝国カール5世以降の人物にアゴに特徴的な異常が見られるようになったのです。下顎が上顎より出ているいわゆる下顎前突症と呼ばれる症状が多発するようになります。噛み合わせが悪すぎて、食べ物を丸呑みするしかないほどで、虚弱体質で病に苦しむ皇帝が続出しました。
カール5世の後を継いだフェリペ2世と妻マリア・マヌエラの子供ドン・カルロスにおいても史実の姿は異様な見た目の人物であったと記されているようです。まるでノートルダムの鐘の主人公の姿のような見た目だったそうです。
17世紀スペイン国王フェリペ4世の時代ではさらに深刻さを増していき、オーストリア系ハプスブルグ家のマリアナ・デ・アウストリアとの間にようやく授かった子供カルロス2世も見た目の異常さは明らかであったようです。
↑カルロス2世
この人物は、3歳になるまで立てず、9歳になるまで文字を書けず、成人してもまともにしゃべることが出来なかったようです。しかし、カルロス2世はハンデを抱えながらもスペイン国王に即位しました。後に、結婚しますが障害による性的不能な状態のため、子どもを残せないまま39歳で死去します。これでスペイン系ハプスブルグ家の血筋は1700年に途絶えることになりました。
その後、オーストリア系ハプスブルグ家の血筋でなんとか持ち堪えますが、次に男児が生まれないという問題が発生することになりました。
当時は一族の長男が家督を継ぐのが慣わしでした。そういった中、カール6世の時男児が生まれずに男系としてのハプスブルグ家は途絶えることになりました。
男系の血筋は途絶えましたが、女系の血筋は現在まで続いているようです。カール6世においても息子はいませんでしたが娘がいました。
その人物がマリア・テレジア。彼女はフランツ1世と結婚しましたが、これは政略結婚ではなくなんと恋愛結婚でした。ハプスブルグ・ロートリンゲン家と呼ばれ、マリア・テレジアが産んだ子どもの数はなんと16人におり、その中の1人がマリー・アントワネットになり、ここでやっと聞いたことがある有名人が出てきます。その後、ハプスブルグ・ロートリンゲン家は500人以上に膨れ上がることになります。

 

●悲劇の真相を改めて振り返る
今まで説明したように、障害の子が頻繁に生まれるようになったのは、陰謀か?誰かの呪わいか?いずれも違います。
彼らの武器である政略結婚が元凶でした。政略結婚をし続けた結果、自分達の利益となる結婚相手がいなくなってしまったのです。
とは言っても、簡単に他の結婚相手を選ぶことができませんでした。そこで下した決断は近親結婚。身内同士で結婚することで利権を守ろうとしたのです。
近親交配では、血が濃くなり遺伝的に病弱な子が生まれやすいと言われており、こうしたことで、ハプスブルグ家では実際に障害がある子が多く生まれるようになりました。
1500年代から1600年代にかけて生まれた子どもは10歳までに半数が亡くなるようになったのです。
衣食住が揃っている名目一族からしたら異常事態で、当時はこの原因が分からず呪いと思っても仕方なく、ハプスブルグ家の繁栄と存続のためには、政略結婚と近親結婚は避けられなかったのだろうと考えられます。
ある意味、この悲劇は逃れられなかった運命なのかもしれません。。

 

●ハプスブルグ家の現在
現代でもオーストリアを中心にヨーロッパに広まり今でも繋がりが強いようです。
2019年もハプスブルグ家のオリンピア氏の結婚が話題となり、相手はなんとフランス皇帝ナポレオン1世の家系の人でした。
この名門同士の結婚式は各国の王族が集まったそうです。また、これも純粋な恋愛結婚でした。

 

●感想
富や名声や名誉を求めるのは悪いことではないが、求めすぎて欲にかられると最終的に悲劇を招くものなんだと思いました。一連の流れを振り返ると、莫大な富や名誉や名声を手に入れたことで、自由を失い近親結婚に走るという形となり、最終的に悲劇を招いてしまったということになります。
現在では、近親結婚は医学的にも問題があると分かっていますが、当時はこの原因が分からずどれだけの年月この悲劇を起こし続けてきたかと思うと居た堪れない気持ちになります。
きっと「生命、動物の神聖な領域を制限したり、操作するとよくないことが起きる」個人的にはそう思います。
恋愛結婚が当たり前の世界に生きる我々現代人はそのありがたみをしっかり噛み締めながら生きていかなければならないでしょう。

 

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