●プロフィール
本名 フリードリヒ・ニーチェ
出身 ドイツ
出世 1844-1900(55歳没)
肩書 哲学者
代表作
人間的な、あまりに人間的な
ツァラトゥストラはかく語りき
彼の哲学はまさに「生の哲学」である。
●内容
①己について
・初めの一歩は自分への尊敬から
自分を尊敬すれば、悪いことなんて出来なくなる。人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ。
・自分の評判など気にするな
人間というのは間違った評価をされるのがふつうのことなのだ。自分が思うように、自分が望むように評価してくれることなんかほとんどない。他人がどう思っているかなんてことに関心を向けてはいけない。そうでないと、本当は嫌われているのに、部長だの社長だのと呼ばれることに一種の快感や安心を覚えるような人間になってしまう。
・自分の行為は世界に響いている
すべての行為や運動は不死なのだ。どんな人間のどんな小さな行為も不死だと言えるのだ。つまり、実は私たちは、永遠に生き続けているのだ。
・自分は常に新しくなっていく
人間は常に脱皮していく。常に新しくなっていく。だから、自分を批判していくこと、人の批判を聞いていくことは、自分の脱皮をうながすことにもなるのだ。さらなる新しい自分になるために。
・無限の豊かさは自分にある
実は人は、その物から何かを汲み出しているのではなく、自分の中から汲み出しているのだ。その物に触発されて、自分の中で応じるものを自分で見出しているのだ。つまり、豊かな物を探すことではなく、自分を豊かにすることが人生を豊かに生きていくことなのだ。
②喜について
・誰もが喜べる喜びを
わたしたちの喜びは、他の人々の役に立っているだろうか。他人の不幸や災厄を喜んではいないだろうか。
・仕事はよいことだ
仕事にたずさわることは、わたしたちを悪から遠ざける。くだらない妄想を抱くことを忘れさせる。そして、こころよい疲れと報酬まで与えてくれる。
・楽しんで学ぶ
外国語を学んでまだ少ししか話せない人は、すでに外国語に通じて流暢な人よりも、外国語を話す機会をとても嬉しがるものだ。つまり、大人であっても、遊ぶ楽しさを通じて何かの達人になっていくのだ。
・この瞬間を楽しもう
楽しまないというのはよくないことだ。つらいことからいったん目をそむけてでも今をちゃんと楽しむべきだ。素直に笑い、この瞬間を全身で楽しんでおこう。
・精神が高まるほど繊細なものを喜べる
精神がより高く、健康に育っていくほど、この人生の中にこれほど多くの楽しいことがまだ隠されていたのかと、発見のつど喜ぶようになっていく。つまり、繊細なものを見分けることが出来るほど繊細で敏感な精神の高みに達しているというわけだ。
③生について
・人生を最高に旅せよ
何事も明日からの毎日に活用し、自分を常に切り開いていく姿勢を持つことが、この人生を最高に旅することになるのだ。
・少しの悔いもない生き方を
今この人生を、もう一度そっくりそのままくり返してもかまわないという生き方をしてみよ。
・脱皮して生きていく
脱皮しない蛇は破滅する。常に新しく生きていくために、わたしたちは考えを新陳代謝させていかなくてはならないのだ。
・生活を重んじる
わたしたちは、人生の土台をしっかりと支えている衣食住という生活にもっと真摯な眼差しを向けるべきだ。もっと考え、反省し、改良を重ね、知性と芸術的感性を生活の基本に差し向けようではないか。衣食住こそがわたしたちを生かし、現実にこの人生を歩ませているのだから。
・人間であることの宿命
自分の眼がどこまでも遠くを見ることがないように、生身の体を持ったわたしたちの体験の範囲と距離はいつも限られているのだ。耳もすべての音を聞くことはない。手もすべての物に触れることは出来ない。このように最初から限界があるのに自分たちの判断が間違っているかもしれないということに気づかないでいる。人間であることの大小さまざまの宿命なのだ。
④心について
・日々の歴史をつくる
わたしたちは、歴史というものを自分とはほとんど関係のない遠く離れたもののように思っている。しかし、わたしたちひとりひとりにも確かな歴史があるのだ。おじけづいて着手せずに1日を終えるのか、怠慢のまま送ってしまうのか、勇猛にチャレンジしてみるのか、その態度のひとつひとつが自分の日々の歴史をつくるのだ。
・平等の欲望
平等という概念語を好んで使う人は、2つの欲望のどちらかを隠し持っている。1つは、他の人々を自分のレベルまで引き下げようという欲望。もう1つは、自分と他の人々を高いレベルまで引き上げようという欲望だ。
・心は態度に現れている
ことさらに極端な行為、おおげさな態度をする人には自分を大きく見せること、自分に力があることを印象づけたいという虚栄心がある。逆に細かい事柄にとらわれる人は気遣いがあるとか、繊細だと見えることもあるが、どんな事柄にも自分以外の人が関わると上手くはいかないと思っていて、内心で人を見下している場合もある。
・飽きるのは自分の成長が止まっているから
物であっても人間であっても、すでに手に入れて慣れてしまったら飽きる人がいるがそれは本当は自分自身に飽きているということだ。手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きているのだ。人間として成長を続けている人は、自分が常に変わるのだから、同じものを持ち続けても飽きないのである。
・精神の自由をつかむためには
感情を野放しにしておくと、感情が自分を振り回し、結局は自分を不自由にしてしまう。精神的に自由であり、自在に考えることが出来る人はみなこのことをよく知って実践している。
⑤友について
・4つの徳を持て
自分自身と友に対しては誠実であれ。敵に対しては勇気を持て。敗者に対しては寛容さを持て。その他あらゆる場合に対しは常に礼儀を保て。
・自分を成長させる交際を求める
自分と同程度の連中と仲間になってその甘い錯覚の中でいい気分になり、若き日の時間を浪費するのはあまりに大きな損失だ。出来るだけ早く、本当の実力によって昇ってきた人間、功労のある人間を見つけて交際すべきだ。
・必要な鈍さ
いつも敏感で鋭くある必要はない。特に人との交わりにおいては、相手の何らかの行為や考えの動機を見抜いていても知らぬふうでいいるような、一種の偽りの鈍さが必要だ。
・友情の才能が良い結婚を呼ぶ
良い友達関係は、良い結婚を続けていく基礎になる。なぜなら結婚生活は、男女の特別な人間関係でありながらもその土台には友情を育てるという才能がどうしても必要になるからだ。
・土足で入る人とはつきあわない
親しくなれば相手の私事に立ち入っても構わないと考えているような種類の人間とは、決して付き合わないことだ。友人関係の場合でも、互いを混同しないような気遣いと配慮は大切だ。
⑥世について
・あらゆる人から好かれなくていい
生理的嫌悪を持っている相手に対していくら丁寧に接しても、その場で見直してもらえることはない。誰からも好かれるのが当然だとは思わず、ふつうに接していた方がよほどいい。
・自分の生きた意見を持つ
自分の意見を持つことを面倒がる連中は、金を出してケースに入った化石を買う。この場合の化石とは、他人の昔の意見のことだ。この世にはそういう人間が数多くいるのだ。
・批判という風を入れよ
キノコは、風通しの悪いじめじめした場所に生え、繁殖する。同じことが人間の組織やグループでも起きる。批判という風が吹き込まない閉鎖的なところには、必ず腐敗や堕落が生まれ、大きくなっていく。
・政治家に気をつけろ
自分の周りに有能な人々や有名な人々を置くことによって、自分をいっそう目立たせようという下心を持っている人間がいる。そういう人間を警戒しよう。その典型が政治家である。
・借りたものは多く返す
返済するときは、たっぷりと返すこと。その多い分は相手にとって利子となり、相手を嬉しがらせる。また、かつては借りなければならなかった人が、今はこれだけ返してくれるようになったと喜んでくれる。
⑦人について
・カリスマ性の技術
自分をカリスマ性を持った深みのある人間であるように見せたいなら、一種の暗さ、見えにくさを身につけるようにすればいい。多くの人は底が見えないことに一種の神秘性と深さを感じるからだ。カリスマと呼ばれる人への恐れとは、その程度のものなのだ。
・体験だけでは足りない
体験によって人は成長することが出来る。しかし、体験してもあとでよく考察しなかったら、何にもならない。どんな体験をしても、深く考えてみることがなければ、よく噛まずに食べて下痢をくり返すようなことになる。
・夢に責任を取る勇気を
過失には責任を取ろうとするのに、どうして夢に責任を取ろうとしないのか。最初から自分の夢に責任を取るつもりがないのなら、いつまでも夢が叶えられないではないか。
・強くなるための悪や毒
人生の中でのさまざまな悪や毒。それらはないほうがましで、ないほうが人は健全に強く育つのだろうか。いや、それら悪や毒こそが、人に克服する機会と力を与え、人がこの世を生きていくために強くしてくれるものなのだ。
・街へ出よう
雑踏の中へ入れ。人の輪の中へ行け。みんながいる場所へ向かえ。みんなの中で、きみはもっとなめらかな人間になり、きっちりとした新しい人間になれるだろう。孤独でいるのはよくない。孤独はきみをだらしなくしてしまう。さあ、部屋を出て、街へ出かけよう。
⑧愛について
・男たちから魅力的と思われたいなら
男たちからもてたいと思っているなら、自分の中身に何があるか見せないようにすればいい。すると男たちの欲望はこの上なく刺激される。この方法を独裁者やエセ宗教の教祖は最も悪どく、効果的に使っている。
・結婚するかどうか迷っているなら
結婚に踏み切るかどうか迷っているなら、じっくりと自分に問いかけてみよう。自分はこの相手と、80歳になっても90歳になってもずっと楽しく語り合っていけるだろうかと。
・愛は喜びの橋
自分と似た者を愛するのではなく、自分とは対立して生きている人へと喜びの橋を渡すことが愛だ。ちがいがあっても否定するのではなく、そのちがいを愛するのだ。
・愛することを忘れると
人を愛することを忘れる。そうすると次には、自分の中にも愛する価値があることすら忘れてしまい、自分すら愛さなくなる。こうして、人間であることを終えてしまう。
・愛する人の眼が見るもの
他人から見ればどうしてあんな人を愛しているのだろうと思う。しかし、愛する人の眼はまったく異なる点に焦点をあてている。愛は、他の人にはまったく見えていない、その人の美しく気高いものを見出し、見続けているのだ。
⑨知について
・視点を変える
何が善であり何が悪であるのか、人間としての倫理とはどういうものか、という定義はその時代によって正反対になるほど異なっている。古代人から見れば、現代では全く普通とされている行動や考えの多くが悪なのだ。視点を変えるとは、古い時代の事柄を学ぶことも、視点を変えるのに大いに役立つのだ。
・本を読んでも
本を読んだとしても、最悪の読者にだけはならないように。最悪の読者は、本の中から自分に都合がいいもの、今の自分に使えるようなものをあたかもその本の中身の全てであるというように大声で言ってはばからない。それは、その本を結局は全く別物のようにし、さらにはその本の全体と著者を汚してしまう。
・真の教育者は解放する
真の教育者とは、あなたの能力をフルに発揮させてくれる人ではないだろうか。つまり、真の教育者とは、あなたの解放者であるはずだ。あなたがいきいきと自由に、能力を存分に発揮させてくれる人こそがあなたの本当の教育者であり、そこがあなたの学校である。
・汝の足下を掘れ、そこに泉あり
自分の視線が一度も向けられたことのない自分の足の下にこそ、汲めども尽きせぬ泉がある。求めるものが埋まっている。自分に与えられた多くの宝が眠っている。
・賢さを見せつける必要はない
自分の賢さを不用意に見せつけたりすれば、遅かれ早かれ有形無形の反発や抵抗を味わうことになる。普通の人々と同じように喜怒哀楽を見せ、たまには一緒に興奮などしたほうが賢明である。そうすれば、目立った賢さを隠せるし、一種の鋭敏な冷たさや考え深さによって他の人々を傷つける子供も減っていく。
⑩美について
・理想や夢を捨てない
誰でも高みを目指している。理想や夢を持っている。それが過去の頃だとなつかしむようになってはいけない。理想や夢を捨ててしまったりすると、理想や夢を口にする他人や若者を嘲笑する心根を持つようになってしまう。
・木に習う
松の木のたたずまい。モミの木のたたずまい。この木々たちは、少しもあせってはいない。慌てず、いらだたず、わめかず、静けさの中にあり、じっとしていて忍耐強い。わたしたちもまた、このような松の木とモミの木の態度に見習うべきではないだろうか。
・人を育てるには拒絶しないこと
人を使うのが上手い人は、頭ごなしに拒絶したり否定したりすることが少ない。なぜならば、彼は人材という畑を豊かに実らせる力を持っているからだ。
・知的で美しい人を探すなら
教養があり、かつ美しい人を探すなら美しい風景を眺めるようにしなければならない。つまりは、ある場所のある角度からの展望のみが美しいのだ。同じように、その人の全体を見ないことである。真上から見る風景と同じように、その人が絶景と呼べるほど美しいわけではない。
・自分しか証人のいない試練
自分を試練にかけよう。誰の目のないところでも正直に生きる。独りの場合でも行儀よくふるまう。自分自身に対してさえ、一片の嘘もつかない。多くの試練に打ち勝ったとき、自分で自分を見直し、人は本物の自尊心を持つことが出来る。