1998年に発行された「こころの処方箋」。この本は、現代の人々の悩みをスッと解決してくれる内容がいっぱい書かれた本であると思います。臨床心理学者の河合隼雄さんが様々な患者さんと出会い、カウンセリングする中で多くの発見や学びをまとめております。その内容について抜粋したものを紹介したいと思います!
目次を見るだけでフムフムとうなずいてしまうことでしょう。最後に感想も書きました。
☆著者プロフィール
☆本書抜粋
・人の心などわかるはずがない
・ふたつよいことさてないものよ
・100%正しい忠告はまず役に立たない
・理解ある親を持つ子はたまらない
・日本人としての自覚が国際性を高める
・心の中の自然破壊を防ごう
・マジメも休み休み言え
・やりたいことは、まずやってみる
・うそからまことが出てくる
・説教の効果はその長さと反比例する
・男女は協力し合えても理解し合うことは難しい
・自立は依存によって裏付けられている
・心の侵攻脈を掘り当てよう
・善は微に入り細にわたって行わねばならない
・耐えるだけが精神力ではない
・文句を言っているうちが華である
・ソウル・メーキングもやってみませんか
・強い者だけが感謝することができる
・勇気にもハードとソフトがある
・昔はよかったとは進歩についてゆけぬ人の言葉である
・道草によってこそ道の味がわかる
・物が豊かになると子育てが難しくなる
・権力を棄てることによって内的権威が磨かれる
・権力の座は孤独を要求する
・羨ましかったら何かやってみる
・心配も苦しみも楽しみのうち
☆感想
☆著者プロフィール
河合隼雄(1928-2007)
兵庫県生まれ。京大理学部卒。京大教授。
日本におけるユング派心理学の第一人者であり、臨床心理学者。文化功労者。文化庁長官を務める。
独自の視点から日本の文化や社会、日本人の精神構造を考察し続け、物語世界にも造詣が深かった。
著書は『昔話と日本人の心』(大佛次郎賞)『明恵 夢を生きる』(新潮学芸賞)『こころの処方箋』『猫だましい』『大人の友情』『心の扉を開く』『縦糸横糸』『泣き虫ハァちゃん』など多数。
☆本書抜粋
●人の心などわかるはずがない
・臨床心理学のカウンセラーである私の所に”札付きの非行少年”と呼ばれる子が連れて来られる時がある。その時のカウンセリングにおいて1番大切なことは、この少年を取り巻く全ての人が、この子に回復不能な非行少年というレッテルを貼っているとき、「果たしてそうだろうか」、「非行少年とはいったい何だろう?」という気持ちを持ってこの少年に接することである。
・非行少年に対して、少年の心をすぐに判断したり、分析したりするのではなく、それがこれからどうなるのだろう、と未来の可能性の方に注目して会い続けることが大切なのである。
・心の処方箋は、現状を分析し、原因を究明して、その対策としてそれが出てくるのではなく、むしろ、「未知の可能性」の方に注目し、そこから生じてくるものを尊重しているうちに、自ずから処方箋が生まれ出てくるものである。
●ふたつよいことさてないものよ
・ひとつよいことがあると、ひとつ悪いことがあるとも考えられる。
・好運により、ふたつ良いことがあったときも自惚れで自分の努力によって好運がふたつ生じたと思う人は、次に同じくらいの努力で今度はふたつ悪いことを背負いこんで嘆いたりする。
・何かよいことがあると、それとバランスする悪いことの存在が前もって見えてくることが多く、そうなると少なくともそれを受ける覚悟が出来る。あるいは前もって積極的に引き受けることにより、難を軽くすることも出来る。
●100%正しい忠告はまず役に立たない
・ヒットを打て!非行をやめなさい!煙草は健康を害します!という言葉は全く役に立たない。
相手の投手の勝負球はカーブだぞ!と外れるかもしれないが、決意を持って忠告するからこそ生きてくる。
・己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで人の役に立とうとするのは虫が良すぎる。
・1回目の時には、相当に自分を賭けて言っているのに、2回目になると、前のようにうまくやってやろうと思って慢心が出たり、小手先のことになって己を賭ける度合が軽くなってしまい上手くいかないことがある。前と同じようにやろうと言っても、人生に同じことなどあるはずがない。
●理解ある親を持つ子はたまらない
・子どもは成長してゆくとき、時にその成長のカーブが急上昇するとき、自分でも抑えられない不可解な力が湧き上がってくるのを感じる。
・子どもがぶつかってゆく第一の壁として、親というものがある。親の壁に遮られ、自分の力の限界を感じたり、悔しい思いをしたりしてその体験を通じて、子どもは自分というものを知り、現実を知るのである。
・理解のある親は衝突を回避して、壁になろうとしない。壁がなくなった子どもたちはどこまで突っ走ればいいか、どこで止まるべきか分からなくなる。一方、親は壁となるために自分自身の人生をしっかり歩まなければならない。
・厳密に言うと、理解のある親が悪いのではなく、理解のあるふりをしている親が子どもにとってたまらない存在となる。
●日本人としての自覚が国際性を高める
・日本人の特徴を日本語ではなく、他の国の言葉で語れる必要がある。他の国の言葉で表現してみることによって、日本というものを一度つき離して、距離をおいてそれをみることが出来る。
・人類の立っている基盤は平面ではなく、球だということである。それぞれの人間がそれぞれの場所で違った生き方をしていても、その根を深く深くおろしてゆくと、地球の中心で交わることができる。理想論かもしれないが、自分の根を深く深く追求することによって、他と交わることを考えるべきである。
●心の中の自然破壊を防ごう
・少年犯罪を考える上で、心の中の自然破壊が大きな要因になっていると考える。心の自然の中に無理してビルを建設して、鉄道を敷き、ゴルフ場を建設などしているうちに自然の水路が破壊され、感情の少しの高まりでも暴発してしまう。
・心の中の自然破壊という場合、”現代人の心全体”の状況として考え、たまたまある弱い部分に色々な他の条件が作用して災害が生じると考えるべきである。
・親は子どものためと思ってやっている開発事業が自然破壊に繋がっていく可能性がある。自然破壊が進むと子どもは言葉によらないサインを大人に発信する。そのサインをキャッチすることが大切である。
●マジメも休み休み言え
・日本的マジメは、マジメの側が正しいと決まりきっていて、悪い方はただあやまるしかない。これに対して欧米人は、自分がどんなに正しいと信じていても、相手の言い分を十分に聞かねばならないという態度がある。その余裕の中からユーモアが生まれる。
・マジメ人間の日本人が休みなしにマジメにやるので、国際社会で嫌われものになりがちなのである。日本人も反省してこの頃、休みをとるようになってきた。しかし、「マジメに休みをとれ」などということになって、休日を有意義に過ごそうとなどと考えすぎ休日は増えたが、マジメさは変わらない、などということになることはさけたい。
●うそからまことが出てくる
・うそでも何でも、やれると言っていた方が申し訳ないと思って何とか努力しているうちに、本当のことになってしまう。
・うそと分かっていても、他人に対して、あなたは熱心な人だなどと言い続けているとだんだんまことになってくることが多い。
●説教の効果はその長さと反比例する
・説教を効果的にしようと思うなら、短くすることを工夫しなくてはならない。自分が言いたいことに焦点を絞る。説教する側は自己陶酔するなど持ってのほかである。
・説教する側は、説教しないにこしたことはないので自分の精神衛生を上手に保つことが大事である。精神衛生がうまく保たれていると、説教する気など起きない。
●男女は協力し合えても理解し合うことは難しい
・夫婦になると互いの欠点をカバーし合わねばならぬところがあって、知らず知らずに、両者でバランスを取り合ってゆくようなところがある。夫婦が協力し合っている時は相手のことなど深く考えず、目標に向かって前進するが、目標を達成するとお互いのことを本当に知らないままで来たことに思いあたる。
・男女が理解し合うことは実に大変であり、一般的に中年になってからはじまる。その難しさを自覚していると、これから迎える老年のために、新たな気持ちで少しずつ努力を続けてゆこうという気になる。
●ものごとは努力によって解決しない
・努力によってものごとは解決しない。しかし努力ぐらいしかすることがないので、やらせて頂いているという心構えが大切である。
・解決などというものは、所詮あちらからくるものだからそんなことを目標にせずに努力でもさせて頂くというというのがよい。
●自立は依存によって裏付けられている
・自立というものを依存と反対であると単純に考え依存をなくしてゆくことによって自立を達成しようとするのは間違ったやり方である。
・自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受け入れ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していることである。依存を廃して自立を急ぐ人は、”自立”ではなく”孤立”になってしまう。
●心の侵攻脈を掘り当てよう
・人間には、エネルギーの消耗を片方で押さえると、片方で多くなる、というような単純計算が成立しない。これは人間が機械ではなく、生きものであるという事実によっている。
・自分のなかの新しい鉱脈を上手く掘り当てていくと、人よりは相当に多く動いてもそれほど疲れない。心のエネルギーの出し惜しみは、結果的に損につながることが多い。
●善は微に入り細にわたって行わねばならない
・ともかく善意でやっているのだからと言う人は、それは自分が好きでやっているだけのことで、賞賛に値しないどころか、極めて近所迷惑なことをしている。
・善を行うことの難しさが分かると、善とか悪とかいうことよりも、自分の好きなことをさせて頂いているということが実感出来る。
●耐えるだけが精神力ではない
・勝利を得るためには、耐えや苦しみがなければならないと決め込んでいる。しかし、イマジネーションこそ、人間の精神のはたらきそのものではないだろうか。
・忍耐力が重宝されるのは、負けたときの免罪符に使いやすいこと。また、指導者にとっては、選手の個性をつぶすことにより、没個性的な選手を集団として統率しやすい。こうした集団はまとまりはいいかもしれないが、新しい場面への対応や個性的な打開策を打ち出すことが難しくなる可能性が高い。
●文句を言っているうちが華である
・やる気十分の社員が不正な課長と戦い、さりとて密告は嫌だし、けれどもあいつさえいなかったらと言っているという状況があったとする。これこそが生き甲斐があるのである。全く他の力でこの存在を急に取り去られてしまった場合たまったものではない。
・人間は色々文句を言うことによって、うまく安定を保っていることが多い。しかし、適当に文句を言いながら、本当ならもっとやれるのにと考えて生きているのも悪くないのではないか。
●ソウル・メーキングもやってみませんか
・閻魔さんの前に持って行って、これが私のたましいですと示せるもの。そのようなたましいを生きている間にいかにしてつくるか、これがソウル・メーキングである。
・多くの人から尊敬されている人でもソウル・メーキングでは借金だらけなんて人もあるかもしれない。たましいがあると主張したいわけではなく、それがあると考えて、たまにソウル・メーキングをやってみたり考えてみたりするのも悪くないのではないだろうか。
●強い者だけが感謝することができる
・他人に感謝するということは大変なことである。自分が他人から何らかの援助や恩義を受けた事実を認めねばならない。弱い人はそもそもその現実の把握が出来ない。
・なかには感謝するのが難しいため、やたらにすみませんを連発してあやまり倒す人もいるがこれは心の中に入ってくる前に、水際ではねのけているような感覚と考えられる。
・感謝病にかかっているような方はあまりこころが強くない。感謝の心というものは、それほど外にギラギラ出てこないものである。
●勇気にもハードとソフトがある
・優しさにも勇気が必要であること。勇気にもソフトとハードの両面があり、その両面を持っていない勇気は、怒気というべきものに下落していく。
・勇気に支えられていない優しさはどうしても弱さに近づいていく。
●昔はよかったとは進歩についてゆけぬ人の言葉である
・昔はよかったという論議は、それでは今何をすべきか、今何ができるかという点で極めて無力なことが多い。しかし、これが言いたくなってしまうのは、社会の変化に自分がついてゆけなくなったときにそう言いたくなる。
・人間は、時に自ら慰めてほっとすることも必要なので昔はよかったと嘆いてみるのも自分の精神衛生のためにはいいことだが、だからといってそれが別にどうということもないと知っておくべきである。
●道草によってこそ道の味がわかる
・人に遅れをとることの悔しさや、誰もが出来ることを出来ない辛さなどを味わったことによって、弱い人の気持ちが分かるし、死について生についていろいろ考え悩んだことが意味を持ってくるのである。
・道草によってこそ、道の味が分かると言ってもそれを味わう力を持たねばならない。そのためには、道を眺める視点を持つことが必要である。
●日本的民主主義は創造の芽をつみやすい
・欧米の民主主義は個人主義の確立を前提に成り立っている。アメリカの高校は非民主的でも権力主義でもなく、校長の提案に対して、全ての教員がそれに異議を唱える権利を持っている、という意味で民主的なのである。個人に対する信頼感と各個人も個々の人生を生きているという事実によって、欧米には創造性を育てる土壌が出来ている。
・日本の場合は、多くの発言者は細部にわたって疑問を提出するが、争点は不明確で対案を持っていないことが多い。日本の民主主義は、全体のバランスの維持に心が向きすぎて、創造性を早くから円く収めようとしすぎるために、芽をつんでしまう。
●物が豊かになると子育てが難しくなる
・物が豊かでないときは、物によって心を表現することがしやすかった。一人っ子の誕生日にとうてい食べきれない誕生ケーキを貰ったとしても、その子はあまり幸福にも思わないのではないか。
・心を使う代わりにお金を使って子育てをしようとしている親が多い。親が無理をして買っても昔の子どもほど察する能力がないのが現代の子の特徴である。
・子供のものを欲しがる気持ちが分かり、それを買うお金を十分に持っていながら、それを買わないためには相当な心のエネルギーを使わなければならない。この時、親が子供に接する姿勢にこそ、親の個性が出てくる。叱る、怒鳴る、説得する、ごまかす、方法はどれでもよく”親の個性にふさわしい”心のエネルギーの消費によって子供は親の愛を感じる。
●権力を棄てることによって内的権威が磨かれる
・例えば教師が意表を突いた中学生の質問に対して、「その質問には今すぐには答えられないが、来週までに考えてくる」と言って、次週にそれなりの答をすると、権力を行使することなく、自分の権威を守ったことになるし、その権威は高まったことになるかもしれない。
・このように、労力を惜しまず、実直に生徒の質問を考えることによって得た権威は、自分の身についたものとして、他人に奪われることがないのである。
・人間は自分の存在を支えるもののひとつとして、内的権威が必要であることを認め、いかにして磨いていくかを考えた方が効果的である。
●権力の座は孤独を要求する
・権力者として、孤独に耐える力と、権力者としての責任感の強さとは比例するものである。自分は権力者ではなく、他と一緒であることを強調するタイプの権力者は、責任感が薄くなる傾向を持つ。
・孤独に耐える力のある人は、ひとつにかたまる人間関係ではなく、権力のある者とない者との区別を明らかにしつつ、人間としては適切な関係を維持することが出来る。
・自分が自分に対して権力をふるっていると考える。自分を律する、という表現があるが、これは一種の権力行使であると考えられる。とすると、自分を律する力の強い人は孤独に耐える力も強い。
●羨ましかったら何かやってみる
・羨ましいという感情は、どの方向に自分にとっての可能性が向かっているかという一種の方向支持盤としての役割をもって出現してきている。
・羨ましい感情が強い時、自分の中に何かが、未だ注目されずに棄てられているはずだと思ってさがしてみたり、試してみたりするのは悪くない。
●心配も苦しみも楽しみのうち
・心配や苦しみのない人がこの世に存在し、その人は幸福な人だと決めてかかっているために、その人に比して自分は不幸だと思うことになる。
・老人のボケが多くなる理由の1つに、心配すべきときにその心配を取り上げてしまい生きる楽しみがなくなってしまいボケることがある。苦しみや心配は少ない方がいいが、心配すべきときにその心配を取り上げない方がいい。
☆感想
冒頭で述べたように、まさに目次を読んでいるだけでも”フムフム”と伝わってくる言葉たちがたくさんあります。それは、難解なものではなく、当たり前の常識がふんだんに散りばめられているからだと思います。人それぞれの心の根底にあるものを再び呼び起こしてくれる不思議な本だと思いました。よく巷でどこぞの誰かが言っている言葉ではなく、有名な心理学のカウンセラーとして数々の患者を診察してきた筆者である河合さんが、「人のこころなど分かるはずがない」と言い切っているのは、それだけ人の心は複雑で予測し得ないもの、そしてそのような気持ちを持って常に意識しながら人と接することが大切であることを改めて感じました。
また、子供を持つ親として、「子どもがぶつかってゆく第一の壁として、親というものがある。理解のある親は衝突を回避して、壁になろうとしない。一方、親は壁となるために自分自身の人生をしっかり歩まなければならない。」この言葉はまさに今後の親である自分の指針としようと思いました。壁になる。壁になるためにしっかりと自分自身の人生を歩んでいきたいと思います。