【マイケル・ジョーダン】バスケットボールの神様について

スポーツ

●はじめに
NBAの歴史の中で凄い選手は数多くいますが、とにかく言わずもがなのこの人物の凄い成績、偉業について改めてまとめました。
他にもまだまだあると思いますが、書ききれていない所については何卒ご容赦下さい。
バスケの神様と言われますが、実際には「猛烈な努力家」、「常軌を逸した負けず嫌い」、「トラッシュトーカー」という人一倍人間味溢れる人物であり、そして数々の波乱に満ちた現役生活を過ごした選手です。

 

●プロフィール
マイケル・ジョーダン
背番号 23
1963年2月17日生
198cm 98kg

在籍
シカゴ・ブルズ(1984-1993、1995-1998)
※バーミングハム・バロンズ(1994-1995)
ワシントン・ウィザーズ(2001-2003)
※野球

いくつもの引退と復帰を繰り返してNBA現役生活は15年間

愛称
Air、MJ、G.O.A.T

 

●記録
NBAチャンピオン
6回(1991-1993、1996-1998)

シーズン得点王
10回(歴代1位)

シーズン平均得点
30.12pt(歴代1位)

プレイオフ平均得点
33.4pt(歴代1位)

プレイオフ1試合最多得点
63点

ファイナルMVP
6回(歴代1位)

シーズンMVP
5回(歴代2位)

スティール王
3回(歴代2位)

最優秀守備選手賞
1回

プレイオフで63点を達成した試合、相手選手のラリー・バードは『彼はマイケル・ジョーダンの姿をした神だ』とコメントした。
これが神様と言われ始める経緯となる。

1988年にMVP、最優秀守備選手賞、得点王の3つを獲得。同じシーズンにこの3つを受賞したのはNBA史上ジョーダン1人である。
オフェンスもバケモノだが、ディフェンスもバケモノということである。

そして、ジョーダンの凄い所は大舞台、大事な場面での活躍である。
ファイナルステージに6回進出し、6回優勝。
すなわちファイナルに進出したら全部優勝。
しかも全てゲーム7経験なし。(4勝2敗以上)
おまけに全てファイナルMVPを獲得。
とにかく負けたことがないのだから、誰も見たことがないのだから、引退して17年経っても伝説として残るのは当然である。

そして、3連覇を達成した現役絶頂期の1993年突如引退し、1度野球に挑戦し、またNBAに復帰するという超異色の経歴を持つ。
ただ復帰するだけならいざ知らず、また3連覇を果たすという訳が分からない偉業を成し遂げている。引退していなかったら、普通に8連覇達成しているのではないか。
他のスポーツ選手で1度別のスポーツに挑戦して復帰してまた優勝している選手がいたら教えて欲しいと思う。

あと忘れてはならないのが、得点王を獲得しつつ、チームを優勝に導いている所である。
ワンマンチームで活躍して個人タイトルを量産していた訳ではなく、キャプテンとしてチームをしっかり引っ張って優勝に導き、数々の個人タイトルを獲得したのである。

とにかくこんな凄い選手は生きている間は2度と現れないと思う。

 

●マネー
・スポーツ選手「生涯収入」ランキング 1位
・米国で最も裕福なセレブリティ 4位

純資産総額 17億ドル(約1,939億円)
※経営者を除く(1位はジョージ・ルーカス)

・シカゴ・ブルズに入団してからの経済効果は1兆4000億ドル(約145兆円)

・ジョーダン引退の損失はおよそ1兆円とも言われている。引退翌日のナイキの株が5%下がった。

 

●エピソード、逸話
・練習中に反抗したチームメイト(スティーブ・カー)を顔面パンチ。

・ファイナル5戦目、食中毒で出場し38得点を記録。

・トラッシュトークで相手選手(マグジー・ボーグス)のバスケ人生を破壊。『打ってみろよ、このクソチビ野郎が』

・トラッシュトークでチームメイト(ロドニー・マックレイ)のバスケ人生を破壊。マックレイの目の前で『お前は負け犬だ。生まれたときから負け犬だ』と叫び続け、そのせいでそれ以来マックレイは全くジャンプショットを打てない選手になってしまった。

・敵チームに次の自分のプレーを予告し、その通りプレーしてシュートを決めた。

・31歳からでもプロ野球選手になれると自分を信じた。

・ルーキー時代のディケンべムトンボがフリースローを投げる際に『目を閉じて投げてみろ』とけしかけた。そして失敗したムトンボに対し、自分は成功するのを見せつけ力の差を示した。

・プロデビュー当時に履いていたシューズがオークションに出品され、日本円の6000万円で落札された。

・歌手の松山千春は大のジョーダンファンでジョーダンに影響を受けて長髪からツルツル坊主頭にしたらしい。

・1993年ジョーダンが絶頂期突然引退した時、当時のレブロン少年(レブロン・ジェームズ)はどうしていいか分からず、めちゃくちゃ泣く程悲しかったと本人が語っており、当時を思い出すと今でも泣けてくるくらいジョーダンをリスペクトしている。

・今でこそバスケのダボダボのズボンは見慣れた光景だが、これを流行らせたのは一説にはジョーダンの影響らしい。ジョーダンが、ノースカロライナ大出身であることに愛着があり、NBAの試合でルーツである大学のユニフォームのズボンを下に履きたいがためにダボダボのズボンを上に履いて隠して見えないようにしたらしい。

 

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