私は小学生、中学生の時野球部に所属しており、大の巨人ファンでした!
当時の巨人はバッターは、松井、高橋、清原、江藤、阿部、マルティネス、ピッチャーは上原、工藤、桑田、斎藤、入来といった錚々たるメンバーがおりました!
しかもほぼ全員全盛期。このメンバーで優勝できなかったらおかしいでしょってな感じでした、、、笑
そんな選手の中でも、仁志敏久という選手がめちゃくちゃ大好きでした!当時の巨人を知る人はきっと分かると思いますが、仁志敏久という選手はあの時の巨人を語る上で欠かせない存在だと思います!
この選手は体格も大きいわけでもなく、バッティングも走塁もめっちゃすごいわけではないのですが、打ってほしい時にしっかり打って相手チームを困らせるという選手でした!しかし、何がすごいって守備です。ポジションはセカンドですが、なぜそのあたりをとれるのか。しかも必死に飛びついてとってアウトにするのではなく、平然と正面で何事もなかったかのようにとって投げてアウトにする。肩も強いわけではないのですが、動きに無駄がないのです。全ての動きがしなやかで跳ねるようにプレーしているのです。
ファインプレーをファインプレーに見せない超クールな選手で、そこが当時の少年時代の私にはたまらなく魅力に映りました。ジャンクスポーツでダウンタウンの浜ちゃんも仁志選手の大ファンであったことを語っております。
(動画は5分4秒からになります。)
そんな仁志敏久という選手をもっともっと詳しく紹介したいと思います!同氏の半生を振り返り、改めて当時の少年時代の思い出がよみがえりました!
参考本は仁志敏久〜プロフェッショナル〜(禅伝社)になります。
●プロフィール
1971年10月4日生まれ
171cm 80kg
背番号:8(にしがはちととても覚えやすい)
厳しい父親で少年時代は野球漬けの生活
常総学院高校⇨早稲田大学⇨日本生命を経て1996年から2006年まで読売巨人ジャイアンツ、2007年から2009年まで横浜ベイスターズに在籍し、2010年にアメリカ独立リーグに挑戦し同年に引退する。
2014年から2020年までU-12日本代表監督務める。
2021年から横浜DeNAの2軍監督を務める予定。
本要旨
●プロの守備論、打撃論
・攻撃は最大の防御ではない。あくまで相手を倒すための手段である。
・最大限の準備をすることが大事。
・グラブはゴロのボールに当て、送球するために手に持ち替えるための道具という認識である。イメージと形を一体に考えることが大切。
・ピンチを迎えたらスコアボードを見る!これは、その場その場で行き当たりばったりのプレーをせず、冷静に状況を判断するためである。
・打者の大まかな特徴で、ある程度の守備位置を決める。こうすることで、1歩目の打球判断が違ってくる。あたかも、最初からそこにいたのではないかというところで処理できる。
・なぜかを問われて、周囲に納得のいく説明ができなければ考えたということにはなり得ない。
・何ごとも最初が肝心であるように、守備もまたスタートがもの凄く重要である。
・セカンドは、送球の強さで観客を唸らせることは出来ないので、はたからみて難しい打球だと分からない限り、だいたいが当たり前のプレーと見られる。いかに当たり前の幅を広げられるかが大切。
・相手を思いやることがチームワークである。
・打ちにいかなければ始まらない。慎重になってばかりでは成長しない。とにかくトライする。やりすぎて叱られるくらいの方が身になる。
●木内マジックー学生時代から社会人野球へ
①高校時代
・木内監督の「ダメなやつは、ダメなの」という発言は、多くの教え子に接し、厳しい環境の中でずっと監督という立場を経験して、どんな時にもはっきりしたことを伝えるべきだと感じたからであろう。
・「お前はおとなしくてダメだって言われ続けてんのにちっとも変わんねえな。だから使わねえんだよ。」と監督が言ったところ、選手が「僕だって変わろうとしてるんですよ!」と発言し、その後この選手を代打に送った。
・「先生じゃねえから」が口癖。
・3チーム作り、コーチとなった選手が監督役となって、選手同士で話し合いながらオーダーを決めたり、作戦を練ったりする。誰がどんなポジションでもいい。それに対して監督やコーチの先生達は口出し無用。勝敗だけでなく、個人タイトルなども作り、優勝チームやタイトル獲得者は商品がもらえる。
②早稲田大学時代
・この頃は、全く守備に自信がなくてよく弾いて監督や先輩に叱られていた。
・当時、大人の野球がしたいとして監督に逆らったとマスコミに報道されたが、事の真偽を調べもせず面白がっていた輩に当時からバカかとしか思っていなかった。
・4年生の1年間は、その後の人生にも大いに役立っている。この時から強い意志を大事にするようになった。
③日本生命の2年間
・野球はただ打ち、守るのではない。高い意識を持って努力し、常に前へという向上心を、練習にも試合にも生かさなければならない。プロはアマチュアから吸収すべきところもあるはず。特に一人間、社会性という部分に関して。
・アマチュアが出来るだけ存続してくれることを願っている。プロには行けなくても真剣に野球を続けたいという選手たちの活躍の場がいつまでも出来るだけ華やかに続いてほしい。オリンピックはアマチュアに経験させて欲しい。
●ジャイアンツの11年
・長嶋監督でなかったら試合に出ることも少なかったかもしれない。ずっと一軍にいられたことなど、実現しなかったと思う。ルーキー時代からビッグマウスと称され、歯に衣着せぬといったキャラクターが定着した。
・バットはぶん投げる、ヘルメットは叩きつける。という行動を長嶋監督は止めようとせず、面白いやつだときっと思っていた。
・武上四郎バッティングコーチの陰の力があったり、尽力してもらったことが1番打者に定着する要因の1つとなる。
・入団から3年間守備コーチだった土井正二さんにいちからセカンドというポジションを教わった。
・ランナーとして自分が出たらとにかくアウトにならない。最善を尽くして必死に走ることを学んだ。
・セカンドは最初から上手い選手はいない。他から回ってたどりつく。そのため、情熱を持って教えなければならない。日本海軍、山本五十六の言葉で『やって見せて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かず』まさにこれが必要である。
・2000年の日本一は、気力、体力、結果も全てピークだったが、チームとして翌年から目標を失ってしまったような気持ちでありながらもモチベーションを保とうと頑張った。
・原監督の1年目に、新オーダーとして2番という役割を期待されながら全くそれに応えられなかった。
・2004年堀内監督になり、再び1番打者として起用されよい結果を残せた。
『人生いつ何があるかわからないから頑張っておけよ』桑田真澄選手の言葉に納得出来た。
・2006年11月横浜ベイスターズにトレードとなる。『心こそ 心迷わす心なれ 心に心 心許すな』清武球団代表にボールにサインを書いて欲しいと頼まれて書いた一句。心の中に潜むもうひとりの自分にきをつけなさい。自分自身の信念を妥協により曲げてはならない。
・2005年原監督2度目の就任時、原監督と確執めいた話を面白がっている人も周囲に多くいた。しかし、それはほぼ誤解である。
同年ロッテの小坂選手がジャイアンツに移籍することになり、鎬を削ることになるのは避けられないが、むしろチームメイトになることを心待ちにしていた。
・2006年、プロ11年目にしてスタメン起用されなくなり、ベンチにいることになったが、出来るだけ試合に近づいて空気を感じたい、出場機会がきた時に少しでも目と頭を慣れさせておきたいという思いから立って声援を送っていた。
しかし、徐々に歯車は狂い始める。そしてプロ入り初の2軍落ちとなる。
・2軍でも腐らずに若い選手達の目を意識してプレーした。この時の経験を今後も大切に持ち続けていこうと思っている。
・辛い現実は、強くなれるチャンスである。そして感謝することもまた、振り返るたびに思い出される。
●プロの基本とは
・技術や動作には1つ1つ理由がある。なぜ今そうするのか、といった1コマ1コマに理由がある。結局人それぞれ基本が違うので、ミスが少ないというのがその人流の基本である。
・基本というものは、最終的には本人のものでしかないからどんなにいい指導者がいても本人の努力や向上心がなかったら何にもならない。
・いくら教えるほうが満足しても、教えられるほうが理解出来ていなければなんの意味もない。常に自分のプレーを説明出来るように心がけている。
・どうしたら上手くなれるかを考えることが上達への道。『どうしたら打てるようになれますか?』プロ野球選手だからといって、私達もいまだに同じことを考えている。いかに自分なりのイメージ、自分なりのスイングを探し出して体に染み込ませることができるか。
・唯我独尊!あなたの売りはなんですか?否定から入るよりも、肯定を基に考えていくべきである。簡単に粗い部分が削れるのならば誰も苦労しない。自分自身の可能性を引き出そうとするのであれば、売りというものを武器にして競うべき。
自分自身もセカンドというポジションをやり始めた頃にいつも思っていた。何か自分にしか出来ないことを考えようと始めたのが、打者によってポジションを考えるということ。
・考えるよりも体が動くように、技術の枝葉の部分、基本となる幹はもちろんのこと先へ延びていくための発想を大事にしていくべき。
●反骨心とプライド
・小学校5年生頃から野球というものに熱を入れだした、なぜか父親も突然熱が入り始めた。この頃から強制的な努力が始まりいやでいやでたまらない毎日を過ごすことになる。
・上が下を理解してあげなければならない。上の人間は下におりることが出来るが、下の人間はのぼってくることは出来ない。
・必要なのは、自分自身の隙のなさ。理論、方向性、それを確実に伝えられるだけの思考力、また、人への理解力も必要である。
・いつでも調子がいいようなフリをすること。どうせ相手には同じように見えるのだから、いつでも調子がいいような顔をしている方が得である。ミスはミスで反省すれば、前に進む権利は誰にでもあるはず。
・心技体がスポーツには不可欠。
仁志さん曰く、心は誇り。唯我独尊そんなおもいも心のどこか片隅に置いても悪くない。
技は、知恵と工夫にかぎる。どんどんためしてみる価値はある。
体は、何事も懸命に行うということ。出来るだけのことは、やったと充実感を味わえるようなプレーを目指すべき。
・プロ意識が高いから先を目指すのではなく、その道を極めようと試行錯誤しながら努力し、一つずつ完成度の高いものを作りあげていく人たちをプロと言う。
●感想
・木内監督との出会いが大きく変えたと思いましたし、ご本人もそう述べております。
木内さんははっきり自分の思いを伝えるのがすごいと思います。何も言わないより正直でよっぽど信頼出来ます。
・基本というものは人によって違う、結果を残すためにどうするかを考え工夫し試すという作業がとても大切なことなんだと改めて感じました!
・浜ちゃんの仁志そこにおる!?は準備の賜物!相手をよく見て分析してポジションを変えているからなんだと知ってもやっぱりすごいと思います!
・2021年から横浜DeNAの2軍監督に就任とのことでこれからも仁志さんの活躍に注目したいと思います!