【キング牧師】 “I Have a Dream” ガンディーの魂を受け継ぐ者

教養/豆知識

2020年5月25日、黒人であるジョージ・フロイドさんの白人警官の暴行による死去からおよそ丸1年が経ちました。この事件は、世界に衝撃を与え、今なお黒人への差別がアメリカでもあることが明るみにされた事件となりました。この事件の影響により、アメリカのみならず世界中で”Black Lives Matter”運動が怒り、一部デモ隊が暴徒化して建物が壊されたり、焼かれたり、黒人の白人への復讐による暴行が起こるなど骨肉の争いとなってしまい、今でもその火種は消えておりません。このように暴力に対して暴力で返すという構図になっているのが現状です。
しかし、かつてこの黒人差別に対して暴力ではなく、ガンディーの思想である非暴力・不服従運動で黒人の権利を勝ち取った人物が今から半世紀ほど前に存在しました。その人物の名はマーティン・ルーサー・キング・ジュニア、通称キング牧師です。今回はそんなキング牧師の半生について簡単にご紹介したいと思います!!

 

●プロフィール
名前 マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
通称 キング牧師
出身 アメリカ南部ジョージア州アトランタ
出世 1929-1968(39歳没)暗殺
1964年ノーベル平和賞受賞、プロテスタント派の牧師、アフリカ系アメリカ人の公民権運動指導者

 

●生涯
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは1929年に黒人教会の牧師の子として誕生した。牧師である父から「この世の差別は諦め、天国での幸せを祈れ」と教えられたキング牧師であったが、激しい差別を受け白人を憎んでいた。ガンディーが暗殺されてから2年後の1949年、キング牧師が20歳の頃、ガンディーの非暴力・不服従運動を知り激しく魂を揺さぶられることとなる。
キング牧師は、「非暴力抵抗の方法は正義と人間の尊厳の為の闘いにおいて最も有効な武器である。マハトマ・ガンディーはそれを自分の人生で証明した。」と後に述べている。
リンカーン大統領の奴隷解放宣言後も特に南部では元奴隷である黒人への差別が公然と行われていた。
1955年12月1日、アメリカ南部のアラバマ州モントゴメリーである小さな事件が発生する。白人用と黒人用に座席を分けた人種隔離バスに黒人女性のローザ・パークスが乗っており、席が混んできたため、白人が彼女に席を立つように要求した。しかし、それを拒んだ彼女は逮捕されることとなる。
これに対し、黒人達は彼女を無実にするための集会を教会で開く。その集会のリーダーに選ばれたのが弱冠26歳の無名のキング牧師である。「いったい、どうすれば黒人女性の無実が明らかにされるのか」とキング牧師は頭を悩ませた。そんな時、学生時代に読んだ本が頭に浮かんだ。その著者の名は、マハトマ・ガンディーである。

「自分の決断で多くの黒人が殺されるかも知れない。しかし、このままでは何も変わらない」と考えたキング牧師は、決起集会で「人種隔離バスの不正に対し、非暴力で抵抗し、2度と人種隔離バスには乗らないと決意するのです。我々は間違ってはいないのです。」と民衆に呼びかけたのである。キング牧師はこの考えに立ち上がってくれるのか、バス乗車ボイコット運動の前夜眠ることが出来なかった。そして、当日朝一番のバスがキング牧師の家の前にやってきたが、いつも黒人でいっぱいのバスに誰も乗っていなかったのである。そこには、大通りを闊歩する黒人達の集団がいたのである。この運動は全米各地に広まることとなる。
そのような中、1956年にキング牧師の自宅が爆破されることとなる。これはKKKと呼ばれる白人至上主義を掲げる白人秘密結社の集団の犯行であった。白人への復讐に闘志を燃やす黒人達であったが、キング牧師は、「我々はたとえ暴力を受けても決して暴力で報復はしないのです。」と述べている。ここにもガンディーの思想が植え付けられているのであった。
こうして、1年あまりバスボイコット運動を続けた結果、人種隔離バスは廃止され、黒人女性のローザ・パークスは無実を獲得する。しかし、食堂や学校や図書館など様々な場所で人種隔離差別は以前残ったままであった。キング牧師は、白人の黒人への差別をなくし、黒人の市民としての権利を確立させる法律である公民権法を目指し非暴力・不服従運動を全米に広めるように行進していく。だが、無許可で行進したとして1963年に逮捕され9日間の拘留となる。
出獄したキング牧師は再び行進を開始する。アメリカでも最も差別が激しいバーミンガムで平等を訴える黒人たちの集団に対し、警察は警察犬に黒人を噛むように命じ、ものすごい勢いで黒人に向けて放水するなどして対抗する。デモに参加していた黒人たちは、白人警官に殴られ、次々と逮捕されていった。行進するキング牧師たちの前にも警官隊が立ちはだかり、にらみ合いが続くことになった。そして、上官の命令を無視して黒人達に道を開けたのである。黒人の思いが白人の心に伝わった瞬間であった。この様子は、全米に報道され白人達の暴力に対し、非暴力で耐える姿が加害者側であった白人達の良心を呼び覚ましたのである。

1963年8月に黒人の平等な権利を訴える大集会を全米に呼びかけた。その日、集会に集まった人数は25万人であり、その中には6万人もの白人がいたのである。ここで、キング牧師は有名な「I Have a Dream」のスピーチを行う。

【日本語字幕】キング牧師 「私には夢がある」~ Martin Luther King "I Have A Dream"(Japanese Subtitles )
【完全版日本語字幕】キング牧師"私には夢がある"→

↑こちらが演説の様子

バスボイコット運動開始から9年後の1964年7月にキング牧師の悲願である公民権法が成立する。黒人たちは法律上白人達と平等な権利を手に入れたのである。
しかし、1968年4月にキング牧師は暗殺される。黒人差別の枠を超えて、ベトナム戦争に介入したアメリカ政府を強く批判した直後であった。暗殺の2か月前にキング牧師は大衆に向けてこう言葉を残している。
「もし、私の最期が来たら長い葬式はいらない。その日、こう話して欲しい。マーティン・ルーサー・キングは生涯、人に仕えたと。マーティン・ルーサー・キングは他者への愛に生きたと。それ以外はつまらぬ事だ。私は、金を残しては逝かない。しかし、悔いのない人生だけは残していきたいのだ。道の途中で、私の言葉や歌が誰かを助け、元気づけ正しき道へと導いた時、初めて、私の生に意義があったと言えるのだ。」
この演説はジョン.F.ケネディの弟のロバート・ケネディも参加していたという。39歳という若さでキング牧師はこの世を去った。

 

●感想
まさにガンディーの意志を受け継いだ人物だと思いました。彼の言葉で、人は死んでもその人の影響力は死ぬことはないという言葉がありますが、まさにガンディーが死んでも自分がその意思を受け継いで活動を起こしたことには感銘を受けますし、とても説得力があります。そして、キング牧師の意志を受け継ぐ人は誰なのか、その人物あるいはその思想が世界を平和にもたらすのではないかと思います。

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