EUという言葉を知っている人はきっと多いでしょう。
EUとは、European Union(欧州連合)という経済同盟の略で、2021年現在ヨーロッパを中心に27ヵ国が加盟している超ビッグユニオンになります。
そんなEUはどんな理由で創られたのかについてこの記事では語っていきたいと思います!!
(この記事は、『ゆげ塾のマンガ構造がわかる世界史』を参考にしております。)
EUが作られた理由はズバリ以下になります。
➡EU誕生の背景はドイツ・フランスの長年に渡るナショナリズム合戦という骨肉の争いの反省から。
そう!ズバリこれです!
EUの設立の目的は平和のためです。現在共通貨幣ユーロの導入や域内移動の自由化、市場の統一など経済効率の観点から語られることの多いEUですが、本来は”平和”のために作られました。
EU最大の目的は戦争をなくすことなのです!
それでは設立までの経緯について以下順を追って説明していきたいと思います!
・まずEU設立はどれほどすごいことなのか!?
・18世紀末フランスにて
・イエナの戦いでフランスがプロイセンに圧勝
・普仏戦争でプロイセンがフランスにリベンジしドイツ誕生
・第1次世界大戦でフランスがドイツに圧勝
・第2次世界大戦でドイツはフランスに圧勝するが・・・
・EUに加盟する絶対条件とは!?
●まずEU設立はどれほどすごいことなのか!?
フランスとドイツは隣国として長い間いがみあってきました。その争いは常に、石炭や鉄鋼に恵まれたフランスとドイツに挟まれたアルザスとロレーヌの地を巡って起こってきたのです。
そんなフランスとドイツがこの地を共同管理とし、同じ共同体という認識であるEUを設立するということは、人類史における壮大な実験ということが出来ると思います。
これを日本人がイメージしやすいように例えるなら、日中韓が竹島と尖閣諸島を共同管理し東アジア共同体を設立するようなものです。こんな夢物語をヨーロッパは実現させてしまったのです!
●18世紀末フランスにて
18世紀末のフランスでは、王政への不満が民衆の間に広まっていました。貴族がのうのうと暮らしているのに民衆は食べるものがないといった貧富の差が大きく拡大していたのです。そこで1789年、フランスの民衆は革命により、王や貴族をギロチンで処刑し、フランスは平民の国になりました。これがフランス革命です。
これが近代国家フランスの誕生です。これにより、平民、国民たちは「命令で軍隊にいるわけではない。国への愛で戦うのだ。」という自身の国家を守るために命をかけて戦うようになりました。このフランス革命により、フランスは大陸最強となったのです。
このフランスの国民国家というものは、士農工商などの身分制度がなく、皆同じ言葉を話し、皆同じような生活をし、皆同じ出世のチャンスを持つという、皆が皆を守るために共同体として国家を持つという共同体となったのです。
●イエナの戦いでフランスがプロイセンに圧勝
そんなフランス革命が発生した10数年後、1806年にナポレオン率いるフランス軍と後のドイツとなるプロイセン軍が衝突することになります。これがイエナの戦いです。
このイエナの戦いにおいてフランス国民軍は極めて強力でプロイセン軍は惨敗しました。プロイセン軍は金銭目的で構成された傭兵ばかりで、同じ国民として団結した近代的なフランス軍に対して全く歯が立たなかったのです。
●普仏戦争でプロイセンがフランスにリベンジしドイツ誕生
イエナでの惨敗により、プロイセンは大改革を断行します。まず、農奴制の廃止により平民国家に近づけるという改革を行います。またベルリン大学を創設し、当時同じ言語を喋るプロイセン、バイエルン、オーストリアなどの国々があり、ドイツという国は影も形もなかった中で「ドイツ国民に告ぐ」という連続公演をベルリン大学の初代総長であるフィヒテは展開し、ドイツ国民であることを植え付けました。そして、20歳から国民の全男子は3年間兵役につくことを義務化したのです。
まだ、ドイツとして1つにまとまってなかった中で、鉄血宰相ビスマルクの政策によって、ドイツ統合を進めていきます。
こうしてイエナでの戦いから60年、プロイセンは近代化し戦争の準備を整え、1970年の普仏戦争でフランスに圧勝しリベンジを果たしたのです。これにより、プロイセンはアルザス・ロレーヌ地方を奪い、多額の賠償金をフランスの請求します。そして、フランスが誇るベルサイユ宮殿でドイツ帝国成立式典を挙げたのでした。
●第1次世界大戦でフランスがドイツに圧勝
フランスは普仏戦争で負けたことでフランス人としての民族意識ナショナリズムが不足していたのではと反省します。ナショナリズムを高めるために小学校ではフランス語の授業が拡大され音楽の時間には国家である『ラ=マルセイエーズ』を合唱し、フランス革命の開始日である7/14を祝日にするといった政策を行った反面、少数異質なものを弾圧する風潮が高まりユダヤ人差別などが激化しました。
ドイツも油断せず、国民国家形成を進めていき、ビスマルクは世界初の強制加入の社会保険制度を作り、また医療だけでなく失業・年金保険などの社会保険を整備していきました。ドイツはこうして地主階級の皇帝や貴族が存在するものの格差はある程度縮小し、フランスに負けずドイツでも国民意識であるナショナリズムが伸長していきました。
こうした中、第1次世界大戦が勃発し、フランスとドイツ双方とも強い国民意識の下で大規模な徴兵を繰り返し兵隊を死地へと送り続けます。
食料をはじめ生活物資の不足は国民の不満を募らせそんな中でも出撃を命じるドイツの皇帝に対してついに国民は戦争中でありながら水兵による反乱が発生することになります。これは、皇帝や貴族などの特権階級がドイツにはまだ存在しており、身分制度や格差が残る王朝国家では、いかに国民意識を高めようにも限界があったのです。ドイツに限らず、第1次世界大戦はロシア帝国、オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国といったヨーロッパの全ての帝国をなぎ倒していったのでした。
こうしてドイツはフランスに敗北し、アルザス・ロレーヌ地方を奪い返され、多額の賠償金を課すようにベルサイユ宮殿で調印されることとなりました。
●第2次世界大戦でドイツはフランスに圧勝するが・・・
ドイツはフランスに負けた原因として民族意識であるナショナリズムが不足していたと考えます。そこで登場したのが、国家社会主義ドイツ労働者党いわゆるナチスです。ナチスの党首アドルフ・ヒトラーは政策的にユダヤ人を弾圧していきました。ナチス=ドイツは第2次世界大戦でフランスをわずか4週間で打倒し勝利しましたが、イギリス、アメリカによって最終的に敗北をすることになります。
こうしていくつもの争いを繰り返したドイツとフランスはナショナリズムに疲れ果てていました。ここで登場したのが、アルザス・ロレーヌ地方出身のロベール・シューマンです。この人が尽力し、国家間の枠組みを超えた平和構想を生み出すことになります。シューマンの構想を実現するために行われたことがヨーロッパ石炭鉄鋼共同体であるECSCの設立です。これはヨーロッパの資源はヨーロッパで分かち合おうという思想の下設立されたのです。そのECSCを土台にドイツとフランスが中心になり、ついにEUが形成されることになります。EUはナショナリズムの限界から生まれたと言っても過言ではありません。
●EUに加盟する絶対条件とは!?
EUに加盟するためには、様々な条件がありますが、1つ”絶対条件”があります。
それは、死刑制度を廃止している国であるということです。
今までの大戦を経て創られたEUの最大の目的は”戦争をなくすこと”です。
戦争とは国家間で行われる殺人であり、死刑も国家による殺人であるということで死刑を認める国は絶対にEUに加盟することは出来ないのです。。